出産

いきなりですけどホント子育てって苦悩の連続ですね。自分が母親になって初めてわかりました。これ程のものかと。
すさまじいです。はい。

まず出産が大変でした。体が千切れるかと思いました。我慢できない痛みですね、陣痛って。
長男の出産の時は陣痛が25時間も続いて。まあ、最初は子宮口が開きにくいのでこれくらい続くのが普通らしいん
ですけどね。(ハイヒールのモモコさんも長男さん出産の時は確かこれくらい続いたってテレビで言ってたような気
がします)ほんと徹夜ですよ、徹夜!学生時代の試験勉強ですら徹夜なんてしたことない私が陣痛で一晩(いや、出
産した日もですから2晩ですね)まるまる眠れなかったですから。あまりの痛みに。 想像以上に出産は過酷でした。
しかしまあ安産ということでしたけどもね、私より半年前に出産した友人からいろいろと聞いてはいたんですがねえ
・・・ううむ。甘かった。

話しを聞いた友人ってのは100人に一人いるかいないかという「超安産」と先生に言われたほどで、初めてにもか
かわらず陣痛も2〜3時間で、その痛みも便秘の時の腹痛くらいだったと言ってました。すごく痛いと感じたのは生
まれる寸前の20〜30分だけだったとか。女の子だったし、すっぽん!と簡単に産まれたそうです。(男の子って
骨格がしっかりしてるから辛いっていいますよね。ちなみにうちは2人とも男)

身近な人からそういう話を聞いてましたからね、ここまで辛いとは思ってなかったんですけど。やっぱり私の方が
普通なんでしょうね。その友人の出産は本当にウソのような羨ましい話しです。

ところで一人目を産んだら2人目は一人目よりは楽といいますよね。産道ができてるから。でも私は次男の出産の
方がそれはそれは大変でございました。予定日を10日も過ぎていたのでお腹の中ででっかくなってたんですね。
10日遅れでやっと来た陣痛。病院に到着し、診察室に入るなり先生が「早く出しましょう」とおっしゃって、な
んと破膜の処置をしたんですよ。破膜!わかります?アソコにはさみのような器具を入れて、羊水の膜をジョキジ
ョキ切るんです。わざと破水させるんですよね。切るときに痛みはないんですけど、その後先生と看護婦さんが、
これでもか!これでもか!と大きいお腹をギュウギュウ押さえて羊水をだすんですよ。1リットルくらいはでたら
しいです。(けっこう入ってるもんですねえ)もうカラカラ状態になるまで搾り出して、それから歩いて分娩室へ
移動。産まれるまでの苦しみといったら思い出したくありません。はい。
(先に羊水を出してしまうとキツイ陣痛が
早く訪れて、出産が早まるらしいのです
)4時間後やっと次男がでてきてくれました。出生時の体重は3810グラ
ム。やはり男の子なもんで骨がごつくて、スルッとはいかなかったですね。先に羊水を出してしまっていたことも
あって、それはそれは地獄の苦しみってやつ。あの時はもういらないと思いました。

しかしまあ、なんですねえ。私が出産した産婦人科は個人の病院でしたが、結構設備がよかったんですよ。分娩台
に早がわりする最新式のベッドはよかったですね。角度、姿勢も丁度いい感じに自分で調節できるんですよ。それ
にエアバッグのようなものが背中にあって、それでベッドの硬さなんかもある程度変えれたりしたんですよね。リ
ラックスできる音楽
(ソフロロジーの音楽というか語りのようなもの)が流れていて天井にはプラネタリウムが輝い
ているのです。そういう雰囲気の中出産できたのは良かったなあと思います。多分、普通の病院の硬いベッドで殺
風景な分娩室だったら、耐えられなかっただろうと思います。2人も産もうという気にならなかったかも・・・近
くにこういう病院があってよかった〜。私が出産した病院はかなり地元でも人気の病院でした。この少子化社会に
この病院だけは繁盛してて、隣町からも結構通ってる人とかいましたから。こんな病院がもっとあればいいんです
けどね。

出産には主人が2回とも立ち会ってくれました。2回目はもう立ち会いしないと病院の方にも伝えていたんですけ
ど。(だって男の人が傍にいてても邪魔なだけじゃないです?どっちみちあの苦しみは一人で耐えなきゃならない
っていうか。傍にいる主人なんかもぅ頭から抜けてますから。地獄の苦しみの最中は周りに気使う余裕すらありま
せんから。だから居ても居なくても一緒だと思ったんですけどねえ。何故か2人目出産時もちょうど主人が帰宅す
るのを見計らって陣痛が来たんで、病院に送ってもらった流れで立会い出産っていうふうになってしまいました。)
男の人って、考えたら作るだけ作って痛い思いもしないで済むなんて、いいですよねえ〜。その分仕事で稼いでも
らわなくちゃ!ですね(笑)

いやはや・・・ところで、出産二回と流産2回で私の体はボロボロになりました。(流産も経験しているのです、
私。)歯は極端に悪くなったし、爪とかはもう出産直後はカルシウム不足のせいか、くにゃくにゃ状態っていうの
?いつ何時割れるか剥がれるかわからん状態で。とっても恐かったです。そして髪も抜け毛がひどくて真剣に悩ん
だ時期もありました。女の命の髪が毎日シャンプーするたびにどっさりと抜けるんですよ。仕方なしに長く伸ばし
ていた髪もショートにしましたね。髪の重みが少ない方が良いかと(苦笑)無駄な抵抗ですね。短くしても結構抜
けるものは抜けたんですけど。幸い私は人より毛髪の量が多かったので、さほど目立ちはしなかったんですけどね。
抜け毛は産後1年間はひどかったです。出産って体がボロボロになりますよねえ。

産後一番悩まされたのは「痔」です。出産で痔になったんですよ。妊娠すると便秘気味になりますよね。そこへも
って私の場合かなりな貧血だったので産婦人科で薬を飲むように言われてたんですね。その薬(鉄分)を飲むと余
計便秘になったような気がします。毎日お通じのよさそうな物を選んで食べてましたけど、どうしても妊娠中は体
質が変化するらしく普段は毎日便通がある私も妊娠中は2日に1回、3日に1回のペースになってました。妊娠中
の便秘って本当に辛いですね。そこへ出産でいきむでしょ。それで、痔になるんですって。結構多いみたいですね。
出産で痔になる方。ヒドイ人は脱肛する方もおられるとか。それを聞くとわたしなんてまだマシな方かと思えるん
ですけど、やはり辛いです。

ここでちょっと痔の話をしましょうか。出産でなる痔は大抵が「いぼ痔」なのだそうです。私は「切れ痔」かな?
って思ってたんですがね。普通そう思いませんか?いきんだ拍子に切れるんじゃなかろうかと。でも、先生に聞く
と「出産でなる痔はいぼ痔!」とのことでした。産婦人科で座薬をもらったんですけどもなかなか良くならず、血
はでるし痛いしで覚悟を決めて肛門科に診てもらいに行ったんです。するとやはり「いぼ痔」でございました。一
人目を生んだときも痔になったんですけど、2人目を生んだときもまたなりましたね。またなったというよりかは、
一人目を生んだ時にできたいぼ痔が悪化したとでもいいましょうか。それから本格的に肛門科に通う羽目になりま
した。大変です。一度なったいぼ痔は薬を飲み続けても100%治るかというとそれは断言できないらしいです。
むしろ、薬をいうのは血行を良くして血の循環をよくしたり炎症を抑えたりするだけで、できてしまった痔自体を
治すことはできないらしいのです。治すとなると手術しかないらしいのですが・・・しかし手術をしてもすぐに治
るというものではなく、完治するのに1ヶ月はかかるだろうと言われてしまった私です。手術をするとしても子供
が小さい間は無理ですよね。子供を預かってくれる人がいないとダメだし、しばらく子供を抱っこするのとかもダ
メらしいのです。いろんな問題がありますね。だから未だに手術をしようかしまいか迷っている最中です。主人は
3人目の子供に備え、(もう一人欲しいらしいです)早く手術をするべきだ!と言っておりますが。受けるのは私
やっちゅうねん!切るのは私やっちゅうねん!そう簡単に覚悟できませんよ。できることなら手術なんて受けたく
ないし。っていうか、去年別の手術受けたとこですもん。一昨年も流産の手術受けたし。(毎年してるやん!手術!
と自分でつっこみをいれたくなる・・・)。

ああ、えっと流産の話からしましょうかね。流産

私今までに2度の出産をしましたが流産も2回経験してます。一度めは妊娠してることすら気づかずに1ヶ月ちょ
っと生理が遅れてるなあって思ってたんです。するとある日の夜、すさまじい腹痛に襲われました。そして床が血
だらけになる突然の大量出血・・・トイレに駆け込むと血の固まりが出てきて・・・(えぐい話でスイマセン)病
院にもいかなかったんです。後からあれは流産だったんだと気付きました。今から考えると恐いですけど・・・長
男を出産する前のことでしたかねえ・・・その時は妊娠してないものだと思ってたので悲しみはほとんどなかった
んですけど・・・2度目は辛かったです。

2度目はちょうど1年と3ヵ月前ですねえ。3人目の赤ちゃんを妊娠してそれはそれは私も主人も喜びました。
日頃から子供は3人か4人欲しいと話してましたから。次は女の子だったらいいなあとか。いや、男がいい、とか。
気の早いことに生まれてからつける日記やアルバムまで用意してたんです。でも、妊娠3ヶ月でその子はお空に帰
ってしまいました。お腹の中で成長が止まってしまったんです。切迫流産で1ヶ月ほど出血が続き、先生には「安
静に」と言われ・・・でも子供が二人もいますし安静にと言われても無理でした、まだ下の子は1歳になっておら
ず、抱っこしないわけにはいかなくて。子供を実家に預かってもらえなかったので
(切迫流産という状況がどんなも
のなのか実家の母もわかってなかったんですね
)「安静に」と言われてもそうそうゆっくりと安静にはできるもんじ
ゃありませんでした。そして流産という結果になりました。その時先生に言われた言葉が今でも胸に刺さっています。

「生まれてくる運命の子は切迫流産で出血してても生まれてくるし、安静にしてても生まれない子は生まれないか
ら・・・流産してしまったのは誰のせいでもないから気を落とさずに。自分を責めないように」

でもそれを受け止めることができないくらい本当に悲しくて・・・

流産の処置をする日は病院に向かう車の中で延々と泣きました。その日は自分ひとりで病院に行きました。主人
には病院に行く前に「だめだった」とだけ言うのが精一杯で・・・

流産したのは私のせいじゃないにしても、産まれてくるものと思っていた子が突然いなくなるのはそれはそれは
辛いものです。 

手術室。初めての全身麻酔。

あの日私は夢を見ていました。お腹から胎児がかきだされている時、夢を見ていました。 

私はストレッチャーの上に寝ていて、私を5,6人の看護婦さんが運んでいるのです。私は天井を見ていま
した。薄いピンクの天井です。建物自体がピンク色なんですね。そこは日本にないような建物で。ゴシック様
式とでもいうんでしょうか。わかりませんが以前テレビで見た教会のような造りの建物です。天井がとても高
くて吹き抜けになっていて。看護婦さんたちは寝ている私をストレッチャーに乗せて引っ張ってその広い建物
の中の廊下を右やら左にくねくねと曲がっていく。そしてある部屋に到着しました。「れんかさん!聞こえま
すか?れんかさんのお部屋はここですからね。しばらくここでお待ちくださいね」そう言って、白衣の天使さ
んたちは何処かに消えてしまったんです。後に残されたのはベッドに横たわった私と、私のお腹にいる赤ちゃ
んだけ。それでも夢のなかで私は「ここは何処だろう」なんて考えていて。そして「そうか。ここは天国だ!
ここが天国の私の部屋になるのか」などと妙に納得して・・・

私はナースに言われたとおり、しばらく待つことにしました。何を待つのかわかりません。でも待てと言われ
たので待つしかありませんここは天国だし天使の言うことは聞かなきゃいけません。私は目を閉じて待ちました。

 「関東さん。関東さん!聞こえますか?」

女の人の声が聞こえました

・・やっと迎えにきてくれたんだ・・・

意識が朦朧としていました。グルグルまわる頭で薄っすらと眼を開けました。頭上には眩しいほどの蛍光灯
が照っていて。そうです。手術室でした。麻酔から覚めたのでした。私は吐きそうになるほどの腹痛にまた
意識を失いました。

ああ、夢を見てたんだなと。はっきりと認識したのは2度目に起きた時。

 手術は寝ている間に終わっていました。すごく短い時間に思えました。夢?幻覚?を見ていたうちに、何
もかもが終わっていました。

少し休んでから、受付に向かいました。足取りはまだ麻酔が残っているのかおぼつかなくて、真っ直ぐ歩く
ことができません。「大丈夫ですか?」と看護婦さんに支えられて歩く私にちょうど健診にきていた赤ちゃん
を連れた親子が哀れみの眼を投げかけ、気を使ってそばに寝かせていた赤ちゃんを私から遠ざけたんです。
そのことが返ってショックでした。もう何でもいいや・・・とその時の私は半分自暴自棄になりかけでした。
ほんとに。あの時のことは一生忘れないと思います。命と言うのは大きな存在です。小さな命が亡くなって、
私の心にポッカリと穴が開いたようでした。今ではその穴の存在もいつの間にか子育ての忙しさで薄れ、埋ま
ったかのように思えるんですけど、ふとしたときにとめどなく悲しみがこみ上げてきたりもします。

このあいだも水子供養に下の子を連れてでかけたんです。ちょうど2回目の流産をして1年でしたから。それ
で、お地蔵様に水をかけて、たくさんのお供え・・・ヤクルトとかオモチャをですねえ・・見ると、1年前の
手術の日の気持ちが蘇ってきて、涙が溢れてくるんです。下の子供が私の様子に気付いて「?」っていう顔で
見るんで、あわてて気持ちに蓋をしたんですけど。やっぱり立ち直れてないんでしょうかね・・・まだどこか
で。

流産のことはこれくらいにしておきましょう。そう、手術の話でした。

手術

今年初めて入院したんです私。必要に迫られて。先送りできない状況だったんで。夏休みに子供を実家に預け
て入院しました。肺にチューブを入れて人口呼吸しながらの全身麻酔による手術。左右扁桃を切除したのです。
この年にして初めて扁桃炎というものになりまして。慢性の扁桃炎。扁桃腺に穴が開いて、そこに膿が溜まる
病気です。熱はでるしリンパ腺は腫れるし、関節という関節が痛くて、もう立ってることができない状態で。
横になるしかなくて。でも、いろいろやらなければいけない家事もあります。寝込んでばかりもいられません。
キツイ抗生剤を飲んで頑張りました。しかし春から扁桃炎を毎週のように繰り返して、だんだんと体力も落ちて
、起きることすらできなくなってきましてね。点滴にも毎日通えないですからね。あ。扁桃炎の治療は基本的に
点滴治療なんだそうです。抗生剤の点滴を朝と夕方にうちに通わないとだめなんです。下の子はまだ1歳ですし、
手がかかりますし。いちいち親に預かってもらうのも気がひけますし。それに扁桃炎を繰り返すとだんだんと抗
生剤も利かなくなるとのこと。私の体も限界で手術しないともう駄目というところまできてしまったので取るし
かなかったんです。いやあ、31歳にもなって扁桃腺をとるなんて考えてなかったですから。残念!(波田陽区
風(笑))ほんとに。先生は出産と育児で体に負担がかかりすぎたのが原因らしいとのことをおっしゃってまし
た。自分がこんなやわな体だったとは・・・いや、私の体がやわなんじゃなくて、想像を絶する以上に出産や子
育てが過酷だということでしょうかね。

特にうちは育児はほとんど私がやってますから。お風呂も私が入れてますし。妊娠中でも上の子を入れてたんで
すよ。下が生まれてから2人いれてます。パパはほとんど何もしてないですからね。いつも仕事から帰るとすぐ
ビール。ビールが始まるとお風呂もは入らない。入っても深夜か、もしくはシャワーで済ますっていう毎日です。
ですから私が子供をお風呂にいれなくてはいけないんです。それに主人は週に1回平日しか休みが無い職業につ
いてますから、土日に公園に連れていってあげるのも私の役目です。仕方がないといえばそうなんですけどね。
だから私は普段母親役と父親役の一人二役演じなきゃいけない状態ですよ。あ、いや別に演じてるわけではない
んですけどもね、要するに子供の世話とか遊びとか、一人で2人分やってるようなそんな感覚です。その分負担
が大きいんでしょうね。体力的にも精神的にも。それで体を壊しちゃったのかもしれないですね。子育てって夫
婦でするものなのにね。うちの主人は頭が固い!子どもの面倒は専業主婦の私がみればいいと言って、全て私任
せなんですよね。任されているということは信頼もされているんでしょうけどねえ。もうちょっと協力してくれ
てもいいんじゃないかって思う部分は多々ありますねえ。でも何回言っても聞いてくれないし。期待するだけ無
駄かなと。初めから期待しなければ腹が立ったりもしませんから。最近は諦めてますね。でも、幼稚園は行事と
か多いじゃないですか。運動会。発表会。参観。懇談。説明会。講演会。遠足・・・今まで何一つ参加してくれ
てなかったんですよね、うちの主人。まあ、たいていの行事は土日ですからね。仕事で休めないっていうのもあ
って。主人は不動産のお仕事をしてるんですよね。土日とかは広告をいれたりとかしてオープンハウスで現場待
機とかなので、休むに休めないっていうか。それと、棟上ですね。行事のある時に限ってなんか重なるものです。
そんなこんなで、幼稚園の行事にもほとんど参加しない主人(しないっていうと怒られるから、できない主人(
苦笑))・・・結構今は夫婦で参加する方いらっしゃっるんですよ。運動会とか発表会は勿論みなさん、夫婦で
参加されてますね。お父さんは子供の様子をビデオカメラで撮影する係りみたいなもんですから。いつも行事の
度にそういう光景を見て、羨ましいなあと思います。それに比べて我が家は・・・と子供が可哀想になったりし
ます。でも仕方がないんですよね。仕事ですから。でも、卒業するまでにせめて一度は行事に参加してやって欲
しいです。今主人に頼んでるところです。はい。しかしいい傾向ですよね。夫婦で行事に参加するように多くの
家庭がなったということは。日本も昔は多分こうじゃなかったと思います。(父親参観という日も確かにあった
ことはあったかもしれませんが)ここ最近やっと意識が欧米化してきたというか。子育ては2人でするものだと
いう思考が浸透してきたのでしょうか。いいことだと思いますね。(偉そうなことを言ってしまった(笑))

でもほんと、子供を生んで育てるって大変ですね。子供が学校へ行くようになると親同士の付き合いも避けて通
れないですから。それにやれ、役員だ、PTAだって・・・自分の負う責任みたいな物も圧し掛かってきますし
ね。私、結構苦手なんですよね。お付き合い・・・人間関係。自分から話しかけるのとか苦手だし。できれば避
けて通りたい。でも、それは通れない道ですよねえ。こういう時って独身の友達とかいいなあ〜って思ったりし
ます。
(勝手ですね)そう思うと子供を沢山産んでられる方はそれだけで凄いですよね。もう尊敬の一言です。

しかし、まあなんですねえ(桂小枝風)。自分の子供って本当に可愛いものですね。できるならあと何人でも欲し
いなあ・・・と。出産の地獄の苦しみも、もはや子供の前では過去の物語。子供の威力、いや魅力はスゴイ(笑)
。どんなに産むのが大変でも育てるのが大変でも、居てくれるだけで幸せになれる存在なんですよね。髪の柔らか
さを感じたり、肌のニオイ、頬の弾力を確かめると落ち着くんですよね。今では横に子供がいないと眠れないくら
いです。こう見えても私結婚前は子供嫌いだったんですよ。ギャーギャー煩いし、うっとおしい生き物だなあって
思ってました。子供を見て「かわいい〜」とかいう女も大嫌いでした。男に好かれるための計算?とかって思えて
嫌いでしたね。いません?そういうヒト。でも、自分が産んでみるとこんな可愛いとは思いませんでした。かなり
勝手ですけど。(苦笑)やっぱり女って生まれながらにして母性が備わってるものなんですね。それがいつ開くか
は個人差あるんでしょうが。私の場合開化するのが遅かったんでしょう。ほんとごく最近ですね。子供が可愛くて
可愛くて仕方ないと思い出したのは・・・

長男を出産した時はそれほど思わなかったんです。長男に申し訳ないけども、毎日が必死で。初めての子供って
余裕がないじゃないですか。だから可愛いなあ〜って心の底から思えなくて。それに子供ができると今までの生
活から一変しちゃうでしょう?今までは自分中心の生活だったのに、子供が生まれると何もかも子供に合わせな
くちゃならない。自分の時間なんてものも無くなるわけで・・・やりたいこともやれなくなる。それが子供のせ
いだなんて考えたりとかもしましたね。それで子供にあたったりしたこともありました。手を挙げたこともあり
ました。子供にしちゃあ迷惑極まりない話なんですけどね。でもそうせずには居られない自分もいて・・・今か
ら思えば虐待一歩寸前だったでしょうか。言葉で言ってわかるなら手を挙げる必要なんてないのにと今なら冷静
に思うんですけど・・・あの時は自分でもヒステリックになってたような気がします。自分の感情にまかせて叩
いたことも度々でした。得に長男はそれはそれは手のかかる子でした。生まれもっての性格だから仕方なかった
んですけど、どうしてこの子はこうなんだろうかと悩んだり腹を立たりの毎日でした。

           夜泣き

まず最初に悩んだのが「夜泣き」。1歳を過ぎても2歳を過ぎても夜泣きです。それも一晩に6〜8回。ほとん
ど1時間ごとに起きては泣き、起きては泣き。私が添い寝をしないと寝ないんです。私の耳やら胸やら首やらを
触って私の体温を感じて、鼓動を聞いて安心しないと眠ってくれない。それが3歳まで続きました。嘘だと思う
かもしれませんが、1度として出産してから朝まで起きずに寝てくれたことはありませんでした。いろんな方法
を試しました。鶏の絵を逆さまにして枕元に張りつけて寝るといいと聞けば、それを実行したこともありました。
夜にぐっすりと眠ってくれるよう、日中は必ず外出もしました。でも、ダメ。おかげで私は3年間ずっと寝不足
で、ストレスもかなり溜まっていました。このまま長男と1日中一緒に居たらもっと叩いたり怒ったりしてしま
うと思いました。私にとっても長男にとってもそれは良くないことだと思いました。だから少し早いと思ったん
ですけど、3年保育の私立の幼稚園に通わせることにしたのです。3歳になったばかりで可哀想かなと思ったり
したんですけど・・・

 結果は入れて正解。どんなにがんばってトイレトレーニングしても取れなかったオムツも幼稚園に入ってたっ
た数日でとれ、なんと幼稚園に通いだしてから、夜は一度も起きずに朝までぐっすり寝てくれるようになったん
です。本当によかったと思います。集団の力ってすごいです。やっぱり周りをみて子供は学ぶんですね。学習す
るんですね。自分も頑張ろうと思うんですね。子供なりに気を使って幼稚園に通って、そしていっぱい遊んで。
それで夜はバタンキュウ。

幼稚園に入れてからは泣くこともなく喜んで学校に通ってくれています。「夜鳴き」はそういうことで3歳で解
決しました。しかし実はもう一つ子供のことで悩まされていることがありました。「アトピー」です。長男は生
後6ヶ月くらいからアトピー性皮膚炎と診断されました。それからずっと病院に通わなくてはなりませんでした。
皆さんはアトピーっていう病気をご存知でしょうか?私は今までその病気がどんな病気であるかをほとんど知り
ませんでした。名前は聞いたことあったんですけどね。私の尊敬する歌人の藤原龍一郎氏が「歌集 嘆きの花園」
でアトピーの歌を詠まれていらっしゃいましたから。
アトピー

無差別にふりそそぐこの月光もわがアトピーも亡びの支度

と。
この歌はすごくインパクトがあって「アトピー」という言葉を私の脳に植えつけるきかけにもなった歌なんで
すけど。これを読んだときはまだピンとこなくて。後々自分の子供がアトピーで苦しむことになって始めて、
同じ病気である藤原龍一郎氏の哀しみと苦悩がしんしんと伝わってくる気がしたんですよね。

子供がアトピーになるまで、身近にはアトピーの人が全然いませんでした。だから病気について詳しくは知ら
なかったんです。恥ずかしながら・・・でも最近ですよね。「アトピー」って言葉が盛んに聞かれ始めたのって。

そもそもアトピーっていうのは簡単に言うと、『アレルギー体質の人に多い、かゆみのある慢性的な湿疹』の
ことだそうです。(アトピー&アレルギー大百科より)←こういう本も買って勉強もしております。

長男は生後6ヶ月で、次男は生後1ヶ月からアトピーと診断されました。それからは月に2回ほど、ひどい時
は週に2回、皮膚科に薬をもらいに通っておりました。とある皮膚科の先生に長男を診てもらったとき、「こ
の子はずっと飲み薬(抗アレルギー剤)を続けていかないとだめだ!」と言われました。その時私は相当悩み
ました。薬を飲み続けるってことに抵抗がありましたから。中身はビタミン剤とかゆみ止めで、飲み続けて体
に影響はないと言われてもやっぱり「はい、そうですか」と飲み続ける道を選択するのには抵抗がありました。
この先どれくらい続けないといけないのかわからないからです。2年かもしれない。5年かもしれない。でも
10年かもしれないんですから。だからできることなら、薬に頼らずにいきたい。そう思っていろんな病院を
受診しました。地元のありとあらゆる皮膚科を回りました。相性のあう病院、治療方針の会う先生を見つける
ことが大事だと思ったのです。いろんな病院を回ってわかったことですが、同じ皮膚科でも先生の考え方やお
っしゃることは様々だということです。抗生物質やステロイド入りのキツイ薬を出して早く症状を抑えようと
する先生もいますし、効き目は緩いけれど副作用や体への負担の軽い薬を出しましょうという先生もいます。
抗アレルギーの飲み薬を続けなさいという先生もおられるし、飲み薬は基本的に出しません。という先生もい
らしゃいます。
            アレルギー

『抗アレルギーの飲み薬は基本的に体に影響はない』・・・確かにそうかもしれません。でも飲むことによっ
て軽い副作用は実際にあるんですよね。長男の場合眠気がしたり、(これは夜にぐっすり寝てくれる分にはい
いですが)昼間眠たくなって幼稚園でぼ〜っとしたり、ダルさを訴えたり、食欲大盛になって食べ過ぎたりな
んてことがありました。薬を飲んでる間はかなり傍から見ていても、ダルそうでやる気がなさそうに見えまし
た。確かに湿疹の状態は飲まない時と比べるとかなりいいんですけども・・・でも私は薬をずっと続けること
に疑問を感じたし、できれば飲まずに済む方法での治療をしてくれる病院を探そうと思ったのでした。薬も時
と場合によって使い分けが必要ですよね。症状がヒドイ時にはキツイ薬も必要だし、軽いときにはそれに合っ
た薬があればいいと私は思います。考え方は人それぞれでしょうけども・・・

いろんな病院を回ると漢方薬で治療しましょうという病院もありました。だから漢方も試してみました。飲み
薬に、入浴剤。(入浴剤というのは数種類のブレンドした葉や茎などの乾燥した漢方をよくある市販のお茶の
葉パックに入れてお風呂にうかべるというものでした)お風呂の湯は茶色になるわ、残り湯で洗濯できないほ
どニオイが臭いわ、効き目もイマイチで最悪でした。漢方薬は飲み薬にしてもイマイチでしたが、入浴剤に関
してはイマイチというよりかは余計ひどくなりましたね。うちの子はどうやら漢方はダメみたいです。特に入
浴剤は入れるのはよそうと思いました。入浴剤にしろ石鹸にしろ、直接肌に受ける刺激に対してとても敏感な
ようなのです。よく他にもアトピーには木酢液が効くとかいうじゃないですか。お風呂に薄めて入れたらよい
とかいいますよね。広告などで「見違えるほどアトピーがよくなった!」とか見ますもん。でも、私は恐くて
できません。まああの広告が嘘とは思いませんが、やはり人によって合う合わないはあると思うんです。なん
でも試さなければわからないんですけども、悪くなって困るのは子供なんですよね。だからそれ以降は試すに
しても気をつけるようにしています。余談ですが皮膚科の先生によれば極力刺激を与えない方がよいから入浴
剤などはお勧めできないという先生もいらっしゃいます。私はその先生と出会うのが遅かったのでいろんな失
敗を経験もしたわけですけど・・・

しかし治療するのも賭けですね。合わないことをしてしまうとアトピーはすぐに悪化してしまいます。今の症
状をキープするのも結構大変なことなのでひとつ間違うと元の状態にもっていくのが困難な時もあります。

私はどこの病院が子供にとって一番いいか病院巡りの「賭け」を続けました。その間は出口のないトンネル
を彷徨ってるような状態でした。大げさな例えかもしれませんが、真剣に悩んでいた時もあるんです。先が見
えずに・・・諦めかけたこともありました。 子供に会う病院を探すのに3年はかかったでしょうか。いろん
なところを受診したおかげでアトピーについての知識も、塗り薬の種類や効き目についても普通の人より詳し
くなったと思います。

今家にはさまざまな皮膚炎の薬が揃っています。長男より3年半後に生まれた次男もアトピーなのです。次
男は生後1ヶ月から皮膚科にかかりました。始めは小児科で乳幼児の脂漏性湿疹と診断されました。でももら
った薬が全く効かず、症状が日に日に悪化してきたのです。耳や顎が切れて黄色の汁がででくるわ、毛がほと
んど生えてない頭の皮膚もかさぶたのような状態だし、足のひざの裏もじゅくじゅくして切れて曲げれない状
態だったり。これってひょっとしてアトピー?って思い、長男の通ってる病院のアトピー外来へ連れて行った
ところ、(その頃ちょうど会う病院が見つかったところでした)やはりアトピーと判明。

まだ赤ん坊の次男でしたが、掻き毟らないように手にはサポートガーゼ、切れた足は包帯でぐるぐる巻き。
そして部位によって効き目の違ういろんな薬を処方してもらい、毎日それを数回塗らなければなりませんでし
た。長男の薬と次男の薬・・・同じアトピーでも赤ちゃんにとってはキツイ薬もあります。顔には使ってはい
けない薬もあります。目に入ると危険な薬もある・・・次男の方は顔の湿疹もひどかったので顔にも薬が必要
でした。だから目に入っても大丈夫な薬を出してもらったりもしていました。

私は毎日頭がこんがらがるほど薬に囲まれて、特にお風呂上りは特に大変でした。2人の子供をお風呂に入
れ、風呂を上がると風邪をひかせないように体を乾かし、髪をドライヤーで乾かしてやり、数種類の薬を部分
によって使い分けて塗ってやる。間違ったら大変ですから。塗り忘れても大変です。本当に苦労しました。

アトピーだとお風呂にも毎日欠かさずに入れなければなりません。肌の表面にアレルギー物質がでてくるらし
いのです。それを毎日洗い流してちゃんと薬を塗ってやらないと、じきに皮膚炎は悪化してしまうのです。親
が手を抜くともろに子供に反映してしまう、そんな病気です。アトピーの子を持つお母さんは苦労してると思
いますね。苦労もするし、お金もかかる!医療費とか生活費が馬鹿になりません。

医療費・生活費

生活費・・・そう、子供がアレルギー体質だと生活費にももろに影響がでます。当時私は次男を母乳とミル
クの混合で育てておりましたが、赤ちゃんがアトピーだと母親も気を使います。好きなものを何でも食べれる
わけではありません。母乳から受ける影響って大きいんです。私がちょっとチーズケーキなんかを食べると即
下痢だし、ほうれん草や春菊などを食べると、アトピーが一気に悪化し、耳や顎が切れだし、黄色の汁がでる
のでした。乳製品もよくない。お餅やおせんべい、オカキの類もダメと先生に言われました。それからコイモ
やごぼうもダメ。卵や小麦粉はまず一般的にアトピーにはダメと言われてますよね・・・こうなると何を食べ
ればいいのやら・・・生後1ヶ月なのでアレルギーの血液検査をして何に原因があるのか調べることも、あま
り意味がないといわれました。今調べたとしても原因は年齢と成長によって変わってくるというのです。だっ
たらどうやねん!どうせえっちゅうねん!ってことで、早いうちにミルクに切り替えることにしました。私に
とっても子供にとっても良い方法がミルクだと思ったんです。除去食療法といって決めた食べ物を一定期間や
めてみて様子を見ながら何にアレルゲンがあるかを突き止めてゆく方法もありました。でも気の短い私は一番
手っ取り早くて、自分も楽できる方法を選びました。ミルクです。ミルクといってもアレルギー用の値段の高
いミルクではなく、普通のミルクに変えただけなんです。それだけでも効果は絶大でした。母乳をミルクに変
えてからは見違えるほどアトピーがよくなりました。病院にもいかなくて済むほどに。よくお年寄りなんかは
母乳で育てるのが一番いいとかいいますけど、こういう場合は仕方ないですよねえ・・・最近ではミルクも良
くなって母乳と変わらない程で、栄養もたくさん入っていますしね。

母乳からミルクに変えて、かなり楽できるようになりました。でもミルク代って結構馬鹿になりません。
特にうちの子はよくミルクを飲んだので月に5000円くらいはかかりました。国からの児童手当は月に5千
円でるんですけど(年に3回、2月、6月、10月にまとめて支給されますが)それ全部ミルク代で消えちゃ
ってる状態。子供を育てるってお金もかかるんですよね(やらしいお話ですが)アトピーの子供を持つと余計
ね。肌着だって、綿100%のものでなくちゃあいけないし、入浴にしても普通の石鹸だと肌が荒れるので、
ちょっと高価な「ミノン」だとか皮膚の弱い人専用の石鹸を使わなければならない!お金がかかります。

それ以外にも医療費!アトピーは一度治ったらもうならないというものではないので、どうしても長期間通
院することになってしまいます。だから医療費は馬鹿になりません。長男を出産当時私たちが住んでた県は、
子供が1歳を過ぎると医療費が当たり前のようにかかる街だったんです。まあ全額ではありませんが。(ちな
みに今住んでるところは3歳まで全額無料です)1歳から診察を受ける度に決まった額を負担しないといけな
かったんですよ。決められた額以上にかかった分は市が負担してくれるというふうになっていたんですが。負
担額は500〜600円程度だったと記憶していますが。でもタダなのと、毎回500円いるのとではかなり
違ってきますよねえ。そこに住んでいた時は、何処でもこうだろうと思っていたので不満もなかったですけど、
其の後引越しをしてビックリでした。県とか市町村によって乳幼児の医療費制度ってバラバラなんですね。今
住んでいる町は3歳まで医療費がかからないんです。「乳幼児医療証」というのが市から交付され、それを見
せれば、市内であればただで診察してもらえるんです。市外で診察を受けたりした時も、後で領収書などを添
えて申請すればお金は返ってきます。この町に引っ越してきて有難いなあと思いました。でももっとすごい町
があることを後で知りました。なんと6歳まで医療費がタダなんです。おまけにチャイルドシートを購入する
代金まで出してくれるというんです。しかも全額。う・・うらやましい・・

どうして市町村によってこうも格差があるんでしょうね。子供の人口が少ない町はより多くの子供を確保した
い!ということで、こういう政策をしているんでしょうけど。        
地域での格差

子供がいる家庭にとって住みやすい町、住みにくい町っていうの、ありますよねぇ。住んでみないと大概はわ
からないもんです。住めば都って、あれウソですね。どうせなら全国統一6歳までに無料!とかにすればいい
のにね。子供が減ってきてるんだし。う〜ん。児童手当が小学3年生まで引き伸ばされたことはうれしいです
けど。どうせならキリのいいところで中学上がるまで支給とかにならないかなあ・・・(笑)

ところで話は戻りますけど、「アトピー」って要はアレルギーなんですよね。多分、うちは遺伝なんだと思う
んですけど。私の父親がばりばりのアレルギー体質なんです。春先になったら1日中クシャミしてますから。
昔から父のクシャミは近所じゅうに響いてました。50回、いや日にヒドイときは100回以上してるんじゃ
ないかな。耳鼻科にかかってないのではっきりとした病名はわからないまでも、アレルギーであることに間違
いないし。それに主人も花粉症。そして何を隠そうこの私も食物アレルギーを持ってますし。その血を受け継
いでしまったらしいです。わが息子たちは。子供にとっては可哀想ですよね。遺伝というやつは、時にはいら
んものまで受け継ぎますからねえ・・・

アトピーの話に戻りますね。それでですね、アレルギーというものは成長するに従って移行するようなんで
す。これをアレルギーマーチと呼ぶそうなのですが、症状が消化器、皮膚、気管、鼻粘膜、結膜と移動する可
能性があるのだそうです。時には喘息、あるときには花粉症。またあるときにはアレルギー性鼻炎。長男がも
ろにそうなんです。1歳過ぎまではアトピーで悩んでいたんです。でも成長するに伴ってアトピーは軽くなっ
て他に症状が移るようになりました。アトピーも勿論あるんですよ。でも季節によってヒドイ時、マシな時っ
ていうのがあるんです。夏場はわりとマシなんですよね。まあ、そのかわりに夏はアセモで悩まされますけど
。アセモも辛いですね。薬を塗らなくてはならないのは一緒ですし、皮膚科にもやっぱりお世話になるし・・
・(そう考えると年中病院行ってるな(苦笑))
喘息・・・花粉症・・

アセモはあまり汗をかかないように極力髪を短くしなくちゃいけないし。我が家は両方男の子なんで坊主に近
い頭にできますけど、これが女の子ならまた大変だろうなって思います。

そんなこんなで夏はアセモ、冬は皮膚が乾燥するのでアトピーがひどくなります。(アセモはアレルギーとは
あまり関係ないかと思うんですが・・・)その他の季節はどうでしょう。一休みできるか?現実はそう甘くは
ありません。はい。季節の変わり目には花粉症とアレルギー性鼻炎に悩まされるのです。花粉の季節になると
もう毎日鼻血ブーです。ひどい時なんか1日3回鼻血出します。それが2週間くらい続くんです。寝てるとき
も鼻血をだすから、布団の上にパットを敷きます。そうすると血がついても上のパットだけ洗濯すれば済みま
すし・・・毎日鼻血で汚れた衣類を洗濯しないといけない時期もあるんですよねえ。洗濯機も大忙しです。1
日3回、いや4回まわるときもあるくらい。困った。困った。いい加減貧血になるぞ!って心配になるくらい
です。

花粉が飛び始め、鼻血がでる季節になり、鼻血を出し始めると耳鼻科に飲み薬をもらいに行くんです。皮膚科
でもらうアトピーの抗アレルギーの薬とまったく同じ薬です。原因はアレルギーですから。薬を飲んでるうち
はかなりマシで。鼻血も止まってくれるんです。でも、このアレルギーのサイクルがまだ把握できていなかっ
た時は、何か変な病気ではなかろうかと心配になっていろんな病院をまわって検査してもらったことがありま
す。結果、やはり原因はアレルギー体質だったのです。長男は粘膜が弱い上に、花粉の季節になると鼻をよく
触るので余計鼻血がでるようなのです。粘膜を強くするにはビタミンを多くとったらいいらしいですね。鼻血
がよくでて心配だということを相談した小児科の先生は「ビタミン剤を常備しておいたらどうでしょう」と粉
末のビタミンのお薬を出してくださっています。普段はアセロラやカムカムのジュースなんかを買って飲ませ
たりしてますが。アセロラとかカムカムって結構ビタミンが多いっていうじゃないですか?普通の炭酸飲料を
買うなら、こっちを買ったしか体にいい気はしますしね。こんなとこでも気使ってます。おかげで買い物に行
ったら「ビタミン」って文字に反応するようになってしまいました(笑)。まあ、私も忘れっぽいんで鼻血の
でる季節だけなんですけどね、そうやって気使うのも(笑)。

まあそうやってうちの子の場合は季節の替わり目は特に大変ですが、それ以外の時期でも症状は出たりする
んですよね。咳きがヒドイな〜って思って、風邪かな?と小児科に連れて行ったら「喘息」って言われたり。
幸い軽症で呼吸困難を起こすほどでもないんですけどね。夜とかは咳き込んで寝てくれないときもあるんで、
喘息を治す飲み薬と腕や背中に張る気管支拡張シールなんかを病院でもらったりしてその場をしのぐんですよ
ね。そう考えると、年中なんらかの病気になってるんですよねえ。ホントにアレルギーな体質って難儀です。
長男は6歳。血液検査も2度ほど受けたんですがね。2歳くらいの時と5歳くらいの時と。だんだんとアレル
ギーの原因になる物質が増えてきてるし。陽性もきつくなってるし・・・やっぱり年齢によって変化するんで
すね。この先どうなっていくんだろう・・・少し不安。ところで2回目の血液検査でわかったアレルゲンは、
スギ花粉と、犬と、あとハウスダスト!
(ダニや埃ですね)でした。検査の結果、中でも一番ヒドイのはハウス
ダストと出ました。でも、近頃はいいものができましたよね。ハウスダストクリアのスプレーとか。花粉をよ
せつけないスプレーとか。昔はなかったですよね。ハウスダストクリアのスプレー、あれ、重宝します。値段
は高いけど。しないよりかは絶対いいと思うし。布団とか枕とか目に見えない埃出ますもんね。・・・1枚の
布団には10万匹のダニが住んでいるっていうじゃないですか!それを考えるとゾッとしますね。結婚するま
で布団の洗濯なんてしたことなかったんですよ、私。皆さん、してました?布団なんて干せばいいと思ってま
したから。うちの母も布団は干すだけでしたから。でも、自分の子供がアトピーになり、いろんな話を聞いて
いると年に1度くらいは洗おうかなと思えてきて、近くのコインランドリーで布団や毛布やラグなんかを洗っ
たりしております。余計なことまで気イ使いますね。アトピーって。布団以外にも洗濯機のカビにも原因があ
るっていうじゃないですか。新聞でそんな記事を読んだような、テレビで見た気もします。だから、洗濯槽ク
リーナー(ハイター)を買ってきて、数ヶ月に1度ほど洗濯槽の掃除をするようにしたり・・・あとエアコン
のフィルターも気をつけなくちゃいけません。あれもカビや埃が溜まりますから。それから床にも掃除機を毎
日かけたほうがいいらしいです。(しかも床は絨毯よりフローリングが埃が溜まらないのでいいんだそうです
よ。)そう考えたら普通に子育てするよりかな〜り、苦労してるんじゃないでしょうか。
(私よりもっと苦労さ
れてる方は大勢いらっしゃると思いますけどね
)まあ、親も大変!だけど子供も可哀想ですからね・・・「わ
が子よ!こんな体に産んだお母ちゃんを許しておくれ〜」(心の叫び!)。子供はこんな体質に生まれたくて
生まれたわけじゃないし。だからなんか申し訳ないなと思うんですよねえ。正直、あと一人か2人子供は欲し
いんですけどね。アレルギーが遺伝するのは目に見えてるしなあ・・・こればかりはどうしようもないことな
んですけど。まあ、成人するまでには大半はましになるっていいますけど。結婚してできる孫のことを考える
といたたまれないです。(今からそんなこと考えても仕方ないか)。

あ。話が逸れちゃいましたが何を言いたかったかというと、子供の医療費は馬鹿になりませんってことを言
いたかったのですよ。そう、ほんとに私は言いたい!アレルギー体質の子供を持つ家庭にも愛の手を!これを
読んだ政治家さん。医療制度を改革してください!(懇願!)ここに書いたようにアレルギーはさまざまな形
で症状がでるので年中病院にかからないといけないということ。それにアレルギー体質の子がいる家庭では兄
弟もおおよそアレルギー体質でしょう?だから、余計負担があると思うんですよねえ。ま、そんなこんなで政
治家さん!宜しくお願いしますよ。(人任せだなあ、自分。)

熱性けいれん

ところでみなさん「熱性けいれん」って知ってますか?子供が突然ひきつけを起こしたらビックリしますよ
ね。5歳以下の子供の3〜4%にみられると言われていますが、長男も経験したんです。ちょうど3歳になっ
て間もない頃、それは起こりました。

ある夜、夕食を食べてしばらくした頃、急に「しんどい」と子供が言い出しました。めったに自分からしん
どいとは言わない子です。「しんどいなら早く寝なさい」と布団を敷いて早めに寝かせました。その時はすで
にちょっと熱っぽかったんですけど、寝たら直るだろうと思ってたんですよね。でも、夜中に子供がうなされ
出してわけのわからない事を言うんです。「虫!こわい!枕から虫がででくる!」と。電気をつけて見てもそ
んな虫などどこにもいません。「虫なんかいないから、早く寝なさい」というと、うなされながらも浅い眠り
について。で、また今度は「壁に骸骨が!骸骨がいる!!」っていうんです。普段はこんなこと言わない子で
す。当たり前です。普段から言ってたら恐いです。その夜の長男はおかしかったです。虫がいるとか骸骨がい
るとかワケのわからないことばかり口走っていました。夜中に熱がどんどん上がってきて39度まで達してい
ました。もうすぐ朝だ。朝になったら病院に連れて行こうと思いながら、一晩中眠れずに付き添っていた私が
うとうとしていたときです。隣で寝ていた主人が大変だ!と叫んで私を起しました。
見ると、長男は白目を向
いて硬直し、ガタガタと痙攣を起こしていました。

主人は私に「電話してどうしたらいいか聞いて!」と怒鳴りました。
私は眠気も吹き飛んで、傍にあった電話を取りました。そして実家の母に電話をしました。母は個人の内科医
院の受付として長年勤めていたので知識もあるかと思ったんです。そしたら母が「今すぐ119に電話しなさ
い!手遅れになったらダメだから!」と慌てて言いました。
(母も自分の子供がひきつけなんて起したことが
なかったからでしょう、こういう時の対処法は詳しく知らなかったんです
)
私は母の言葉を聞いて余計慌てながら119番に電話しました。

その時、隣では主人が叫びました。
「舌を噛んでしまう!何か、口に入れるもの!」
私は電話を握りながらあたふたと周りを探しましたがいいものが見つかりません。どうしよう。どうしよう
と2人で慌てました。そして主人はなおも痙攣する子供の様子にパニックになってしまい、とっさに自分の
指を子供の口に放り込んでしまいました。よく昔は言いましたよね。子供がひきつけを起こした時には、舌
を噛み切らないように割り箸に布をまいて噛ませろとか。でも後で知ったことなんですが、こういうときは
口へ物を入れたらダメなんだそうです。舌を噛むことはめったにないので動かさずに何もせず静かに横に寝
かせ、発作の時間や状態をよく観察するほうが大事なのだそうです。でも、初めてこういう場面に直面した
ら、気が動転して観察なんてとてもじゃないけどできないもんです・・・

電話はすぐに119番に繋がりました。
私「子供がひきつけを起してるんですけどっ。」
救「落ち着いてください。今、どういう状況ですか?」119番
私「白目を向いてガタガタ震えてますっ!」
救「今、ひきつけてる最中ですね?何分くらい続いていますか?」
私「2,3分・・・いや、5分くらいかも」
救「動かさずに様子を見てください。絶対に何も口へは入れないでくださいね」
私「え!どうしよう。今主人が自分の指を・・」
救「え!ダメです!そんなことしたら。口へは何も入れたらだめなんです!何もしないでください!!」
私とやり取りしていた救急隊員の方も主人が指を子供の口に放り込んだということを聞いてとても慌てた
様子でした。

・・・まさか、噛み切られるんじゃなかろうか・・・嫌な不安が頭をよぎり、私はあわてて主人に「指入
れたらダメって!」と叫びました。主人はすごい力で指を子供に噛まれながら間違ったことをしてしまった
ことにようやく気付いて青くなりました。しかしもう遅い。出すに出せない状況で・・・

でもそのうちに子供は痙攣が治まり、ぐったりと意識を無くしてしまいました。主人の指は千切れずに済み
ましたが、子供に噛まれて血だらけでした。


「5分くらいで救急車がそちらに到着します。」

私は電話を切って急いで着替えを済ませ、病院に行く準備をしました。時計を見ると朝の7時。ご近所に迷
惑をかけるなあと思いながらも救急車を呼んでしまったんですから仕方ありません。これも後でわかったこ
となんですけど、こういう時は救急車を呼ばなくてもいいらしいのです。ひきつけの時間が5分程度だと様
子を見て、後で病院を受診すれば大丈夫とのことでした。あまりひきつけの時間が長いと脳に障害が出たり
するので危険とのことですが、5分程度の痙攣でしかも熱があるなら「熱性けいれん」なので大丈夫なのだ
そうです。
(後で先生に聞きました)

とはいっても、当時は何も知らなかったので救急車を呼んでしまったんですよね。
朝早くからうちに救急車が来て、しかも意識を失った子供が運ばれてますから、近所の方は表に出てきて
「どうしたの?」と心配してくれました。私はその時、生まれて初めて救急車に乗りました。主人は会社が
ありましたし、後でいくからということで私だけ救急車に乗りました。私はその時ちょうど下の子を妊娠中
で、ツワリの真っ最中。寝込んでばかりの生活を送ってました。でも、長男がこういう状況になったからに
は、ツワリでしんどいとも言ってられません。子供に付いててやれるのは私しかいませんでしたから。それ
で、初めて救急車に乗ったんですけども、中で待たされましてね。見てくれる病院がなかったんですよ。ひ
どくありません?車で5分の市民病院にも「診察は9時からです」と跳ね除けられました。2時間くらい早
く受け入れてくれてもいいじゃないですか!先生がまだ来てないとしても、夜勤の看護婦さん達はいるんだ
し、何かできるでしょう!?と思ったんですけどね。救急隊員の方もあちこち無線で聞いてくださったんで
すけど、どこの小児科もダメで。それでやっと内科で見てくださるところが1件あって、そこに運んでもら
うことになりました。何しろ意識がないですから。心配で。

病院に到着して熱を測ったら40度近かったと思います。先生が子供の様子を見てとりあえず熱を下げるの
が先決だとおしゃって、座薬を入れてもらって様子をみることにました。

「9時前になったら市民病院の方へかかってください。」と救急隊員の方に言われて、そうすることになり
ました。わたしは主人に電話して、いきさつを説明し、車で来てくれるよう連絡しました。

しばらくして子供は薬が効いてきたのか少し熱も下がり、意識を取りもどしました。
内科の先生は、「よかったですね。9時前までは寝ていていいですよ。」といってくださりました。
イキナリ来て、内科の診察台のベッドを借りている状況でした。先生はそうおっしゃいますが、8時半には
患者さんが来てもうすぐ診察が始まるので、早く市民病院の方へいかないと迷惑になります。8時過ぎ、主
人が来てくれたので早めに子どもを抱っこし、車に乗せ、病院を出ました。

市民病院に着いたのは8時半頃だったでしょうか。消防署の方から話は通してくれていたので付いたら直ぐ
に見てもらえると思っていました。でも、違いました。外の長いすで待たされたんです。しかも9時ちょう
どまで。子供はパジャマのままだし、毛布もなにもない状況。看護婦さんはいるんですよ?でも、何もして
くれません。「9時まで待っててください」と、外で待たされました。その間に子供は1度嘔吐してしまい
ました。主人が少し苛立って、中へいれてもらえないか聞きにいってくれました。でも、「他にも待ってる
方がいらっしゃいますから。待ってください」と言われてしまいました。同じような年齢の子がおじいさん
らしき人に付き添われ、確かに長いすで同じように洗面器の中へ嘔吐しながら寝ていました。それを見ると、
待たなくては仕方がない・・・そう思って9時まで我慢しました。大きな病院って何処もこうなんでしょうか
・・・たかがひきつけって思ってるんでしょうかね・・・こういう経験、病院側の方は沢山あっても親にして
みれば始めてだったりしてとても不安なんですよね。あの時かなり私は苛立ちましたよ。

そして9時になり、ようやく診察してもらえることになって診察室に通されました。
その時、子供の熱は37度台まで下がっていたと思います。

医師「熱下がってるけど、ひきつけした時は何度ありました?」
私「39度以上ありました。さっきまでずっと39度以上あったんですけど、ここに来る前救急車で運んで
もらった○○医院さんのほうで熱を下げる座薬を入れてもらいました。それで、今、下がってるんだと思い
ます」

医「え?座薬?何使ったかわかる?」
私「・・・わかりません」
医「あそこは普通の内科やからねえ。座薬っていっても子供用のないでしょう。」
私「大人用のを3分の1くらいに割って使ってくださいました」
医「え〜。それダメですよ。大人用の使ったら急に熱が下がって返って危険なんですよ。ほら、今37度台
になってるでしょ。もうじきしたらまた熱上がってきますよ。だから、子供には絶対使ったらダメなんです
よ」

その時、“何こいつ”。と私は思いましたね。そんなことわたしにいうべきことじゃないやろ!ってね。
今ぐだぐだいっても使ったものは仕方ないし。それにあの時、意識なくしてた状態で熱を下げる以外にどう
すればよかったっていうの?そもそもこの病院が見てくれないっていうから、あっちの病院に運ばれたのに。
放り出したここより、向こうのお医者さんの方がよっぽど親切だわ!と怒りが込み上げてきました。

それからも医師は座薬のことを看護婦さんにネチネチ言ってましたっけ。横では子供がしんどそうにして
いるっていうのに。私と主人はいい加減、早くしてよという気分でした。それをようやく察したのかやっと
問診に移りました。ひきつけを起こしていたときの状況を聞かれました。白目はどっち向きだったかとか、
手はどういう風に痙攣していたかだとか。

やはり痙攣の仕方も重要なんですね。ああいう時はパニックにならずに観察しないといけないんですね。
でもその時私たち夫婦は何も知りませんでしたから。知ってます?育児書とかに対処の仕方を書いているの
はわかっていても、イザとなるとできませんよね。本の存在自体忘れちゃうほどパニックですから。

それから問診で痙攣時の状況を説明しているうちに舌を噛まないようにと思って主人が指を入れてしまっ
たことも医師に話しました。するとなんと医師は「指なんか入れたらだめですよ〜。」と薄笑いを浮かべな
がら言ったのです。そんなことも知らなかったのかという態度で。それで主人はキレました。(私もかなり
キレかけでしたが。)そして怒鳴りました。

「あんたらは何でも知ってるかわからんけど、こっちは初めてやろが!なんや、その態度!」ってね。
看護婦さんたちもビックリしていた様子です。その瞬間、診察室はしんと静まり返りとても険悪なムードが
漂ったことは言うまでもありません。このままでは診察をきちんとしてもらえなくなるんではなかろうかと
ヒヤヒヤしました・・・キレたくてもキレれない立場ってありますよね?患者って弱い立場でしょ?こっち
が文句言って処置を適当にされたら困りますから。だから、わたしなんかは我慢してしまうところがあるん
ですけど。主人は気が短いもので怒鳴ってしまったんですよね。病院で医者を怒鳴るってあんまりないと思
います。ドラマとかではよくありますけどね。医療現場で実際怒りの気持ちをぶつける行為っていうのはな
かなかできないものですよねえ。だから私、その時の医師の反応にはちょっと内心ドキドキしました。

まあ反応は「どうもすいません。確かに、初めてならわかりませんよね」と一応謝ってはくれました。謝り
方が適当と言えばそうも取れるような感じでしたが。まあ、その辺はおいといて。しかし向こうも煩いやつ
がきたもんだと思ったでしょうね。でも主人が怒鳴ってからようやく少しは医師らしい態度になったように
は見えましたけどね。


そして問診の続き。

医「風邪とかひいてましたか?」
私「全然、ひいてません」
医「何か変わったことは?」
私「夜にいくらを食べたんです。それから急にしんどいって言い出して、熱が出て・・・」
医「いくらは関係ないと思うんですけどね」
私「アレルギーがあるんで、ひょっとしたらと思って」
医「アレルギーでダメなものとかありますか?」
私「生卵を食べると下痢したりします」
医「他は?」
私「他は・・・アトピーなんでアクの強いものとかはダメって皮膚科で言われてます。」
医「う〜ん・・・・他に変わった様子は?」
私「そういえば、夜にずっとうなされてて。変なことばっかり言ってました」
医「どんなことですか?」
私「虫が枕から出てくるとか、壁に骸骨がいるとか」
医「はあはあ。普段そんなこといわないですよね?」
私「はい。いいません。」
医「う〜ん・・・ひょっとしたら髄膜炎かなあ」
私「髄膜炎?」
医「髄膜炎という病気の場合、幻覚をみたりするんですよねえ」
私「え!そうなんですか?」
医「わかりました。とりあえず、検査をしてみましょう。血液検査と、あと麻酔をして髄液をとって
検査します。いいですね?」

                     髄膜炎?

予想外の展開にあの時はビックリしました。もしかして息子は大変な病気なのではなかろうかと。
背中に麻酔の注射をして髄液をとるだなんて想像もしてませんでしたし。さぞかし辛かったろうと思います。
息子はかなりぐったりして意識も朦朧としていたので抵抗する気力さえなかったわけですが。普段は注射嫌
いな息子がよく頑張ったなあと思います。

検査の結果は当日に出ました。髄膜炎ではなかったんですよね。白血球が異常に上がってること(標準は
7000〜8000くらいの値が3万を越えていた
)以外気になることはないと。じゃあ、なんだったの?
というと病名は「熱性けいれん」。その熱性けいれんを起した原因は謎なんです。未だに。私はひそかに
「いくら」じゃないかなあ・・・と考えてるんですけどね。私の思い込みかもしれませんが。(それ以降
いくらは食べさせないようにしてます。あれもいちよう卵ですからねえ。アレルギーに多少関係あると思
うのです)

そして念のため脳波の検査を後日しましょうか?ということでその日長男は夕方まで点滴を受けて家に帰
ることができました。入院せずに済んだのは良かったんですけどね。

私、寝不足と疲労とツワリで死にかけでしたから。ショックと不安でお腹の子にも影響あるんじゃないか
と思うほど疲れてました。はい。

家に帰れて安心したのもつかの間、長男の病気はそれで終わらなかったんですよ。長男の熱は37度台ま
で下がり、この分ならもらった薬を飲ませておけばいけそうかなと思いきや、次の日朝から今度は「お腹
が痛い!」と言い出したんです。別にお腹を通してるわけでもなく、何日も便秘をしてるわけでもないの
に今度は「お腹が痛い!」と。自分で歩くことすらできない程の痛がりようで、トイレにさえも抱っこし
ないといけなくなってしまいました。熱は下がって元気を取り戻したかのように思えたのに今度は腹痛と
は。でも普通の腹痛ならいざ知らず、あまりに痛がりようが尋常でないし、お腹の痛さに波があるような
感じなので、おかしいなあと心配に思って昨日の病院へもう一度連れていきました。ほら、よくあるでし
ょう。子供に多い病気で「腸重積」って。腸の中に腸が入り込んでしまう病気で、突然泣いたかと思うと、
けろっとして。それを繰り返す・・・テレビでも見たことあったんです。子供の病気で手遅れになりやす
い病気だと。だから、もしかしてそれだったら大変!と思って病院に連れて行きました。

病院では浣腸をして便の様子を見ただけでした。血が混じっていないので腸重積じゃないと。
心配いらないと。さっきまで苦しんでいた子供も浣腸をしてケロっと痛みがなくなった様子。

医師には「ただの便秘か髄液をとった影響で腰やお腹が痛むこともあるから」と言われました。それで薬
ももらわずに帰ってきてしまいました。

本当にただの便秘かなあ・・・便なら昨日も出たはずなのになあ・・・髄液を取った影響かなあ?でもあ
の苦しみようは普通じゃない気がするしなあ・・・もしかして昨日のひきつけと関係あるんじゃあないの?
と思いながらもそう言われてしまったし、何より子供が元気になったので家に帰ったんですよね。しかし、
またまたこれで終わりではなかったのです。

夜にまた子供が苦しみだしました。「お腹痛い!痛い!痛い!」とそれはすさまじい苦しみよう。ベッドの
上にうずくまり、のたうちまわって苦しんで・・・

さっき浣腸したとこだし便秘ではないし・・・腸重積でもないと言われたし・・どうしよう。また病院に連
れていこうか。でも、夜でした。診察は終わっている時間帯。でも子供は苦しんでいる。昼間浣腸してもら
った病院にとりあえず電話して診察してくれるか聞いて見ることにしました。電話をしたら看護婦さんが出
て「また、あなた?」みたいな対応でした。「今日はもう先生も帰ってしまったし、とりあえず様子を見て
ください。明日になっても痛がってたらまた来てください」と言われてしまいました。私は主人とどうしよ
うか悩みました。明日まで子供が我慢できるだろうか。もし何かの病気で手遅れになったりしたら大変だし
・・・私たちが悩んでいるうちに、子供はだんだんと泣き叫ぶようになってきたんです。いくらなんでもこ
れはオカシイと、119へ電話することにしました。すると隣町の病院の小児科の先生が見てくださるとい
うことで、急いで車で向かいました。

車で走ること20分。病院に着くと夜間受け付けの係りの方に事情が伝わっていたようで、待つこともな
く小児科の診察室に通してもらいました。    

診察台に乗せられても子供は体を曲げたままでした。先生が体を伸ばそうとすると「痛い!痛い!」と
泣き喚きます。

私達は先生にひきつけを起したこと、それから昨日からの様子を話しました。
血液検査の結果、白血球が3万を越えているということを話すと先生はビックリして「すぐにレントゲンを
撮りましょう」と、わざわざ帰宅していたレントゲン技師の先生を電話で呼び戻してレントゲンを撮る手は
ずを整えてくださいました。


先生「白血球が3万超えてるんですね?」
私「はい・・・」
先生「よく、それで入院せずに済みましたね」
私「え?」
先生「白血球が3万を越えてるって間違いじゃないですか?盲腸でも白血球の数が上がったりしますけどね。
でも2万くらいですよ。」

・・・え?そうなの?!盲腸でも2万?・・って、これってもしかして盲腸?

先生「お腹の痛みは昨日からですか?」
私「はい。でも昨日はさほどひどくなかったんですけど。今日になってひどく痛がりだして・・・朝、市民
病院で浣腸してもらってからは一時治ってたんです。でも夕方から、また痛いって言い出して・・」
先生「?便秘とか下痢してました?」

私「いえ下痢もしてないし、便秘もしてません。ほとんど毎日でてるんですけど・・・」
先生「・・・そうですかあ・・・浣腸すると治る?う〜ん。何故でしょうね・・・でもまあ浣腸して痛みが
治まるならしてみましょうか?・・・レントゲンの先生が来られるまでに時間ありますし、一度浣腸しましょう」

そしてまた浣腸をすることに。看護婦さんがおまるを用意してくれて、トイレで浣腸しました。

不思議なことにあれほど泣いて泣いて痛がっていた子供は浣腸をすると、またケロッと治ってしまいました。
どうなってるんだろう?先生も首を捻るばかり。しばらくしてレントゲン技師の先生が到着し、レントゲン
をとってもらったんです。・・・で、結果はどこも以上なし。良かったけどもわざわざ家で休んでいた先生
を呼び出してまでとってもらってなんだかとても申し訳なかったです・・・

3日間苦しんだ長男でしたがそれからウソのように腹痛も治りました。ですが結局何が原因で熱性けいれん
を起したのか、その後の腹痛が何だったのか。未だに謎に包まれたままです。浣腸したら直る腹痛って、一体
・・・。浣腸前に便秘もしてなかったですからね。下痢もしてなかったですからねえ。下痢でよくお腹が痛く
なって出したら治まるというのはわかるんですけど。下痢をしているわけでもなかったし、2回とも浣腸して
出てきたウンチはいいウンチでしたから。
(汚い話でごめんなさい)

今、これを書きながら本読んでて気付いたんですけど、やはりあれは腸重積ではなかったかと。いや、だって
ね本に書いてるんですよ。発病して24時間以内なら高圧浣腸で治るって。長男がした浣腸がそれだったかど
うかはわかりませんが
(多分普通の浣腸だと思いますがね)・・・なにしろ長男の症状はまさに本に書いてると
おりでしたからねえ。突然激しく泣く、ケロっとするの繰り返しで。まあ、素人が判断できる問題ではないん
ですけど。今、そう思っだだけです。
(念のため)

後で診ていただいた先生によると、腸の中にレントゲンで写らないくらいの小さい石があって、それが腸を行
ったり来たりする病気もあるそうで。もしかしたらそれだった可能性もありますねえ。とのことでしたが。

腹痛はあれ以来ウソのようになくなったので、今となってはそれを追及できないまま結局謎なんですけどね・・・

ところで、長男がひきつけを起こしたことで悩みはあらぬ方向間で波及していったのです。病気はとりあ
えず治ったんですけどね。改な問題を抱えることになりました。


てんかん

病気が一段落した1週間後、脳波を念のために撮っておきますか?(とりましょうじゃなくて、とってお
きますか?でしたね(苦笑))ということで、後日市民病院で言われていた脳波の検査をしたんです。それで
、異常がなかったら問題なかったんですけど、あったんですよね。検査結果が出て先生からの説明のときに、
「2ヶ所てんかん波が出ていますねぇ」と言われてしまったんです。


脳波にてんかん波がでてる?それってどういうこと?

全然私はわからなかったですけど、先生がいきなり「てんかんの薬だしましょうか?」と言ったんです。
じゃあ1週間前のひきつけは熱性けいれんじゃなかったの?てんかん?ってね。それにてんかんの薬って
こんなに簡単に出してしまうものなの?とも思いました。だってそうでしょう?てんかん波がでてるから
てんかんで、薬を飲まないといけないって?そんな急に言われても、「はい。じゃあ薬出してください」
とは言えないですよね。言わないですよね、普通。で、私たち夫婦は、もう一度検査をして下さいとお願
したんです。でも、「今すぐにしないといけない検査でもないし、又今度数ヶ月後に電話してください」
という曖昧な対応・・・それにも納得ができずに、夜に腹痛を見てくれた方の病院の小児科の先生に事情
を説明して、脳波の検査をお願いすることにしたんです。

それでそちらの病院ですぐに予約をとってもらって脳波の検査をしてもらいました。
知ってます?脳波の検査って大変なんですよ。頭に脳波を測定する機械をいっぱいつなぐんです。無数の
コードを引っ付けるために、ボンドのようなものを頭皮に塗るんです。ゼリー状のそれで髪はベトベトに
なります。あれは子供も嫌がりました。検査した日は絶対シャンプーしないとだめですね。

そして後はベッドに横になってただ寝るだけなんですけども。これがなかなか寝ない!
困ったもんです。正確なデータをとるには眠りに落ちる寸前のデータが一番大事だっていうのに。
(てんかんなどであれば眠る直前に異常な波がでやすいのだとか)

脳波を測定するのはだいたい1時間くらいで、何もしないでただ寝ている状態の時、目の上で電気を点
滅させて刺激を与えた時などの脳波を記録していくんです。だから1時間のうちに子供が本当に眠って
くれないとだめなんですよね。

1回目の検査は昼寝をさせずに連れて行きました。でもなかなか寝てくれず、最後まで寝ませんでした。
取れた脳波に異常はなかったんですけど眠る寸前のデータが取れなかったというのもあってもう1度日を
改めてとることになりました。

それで2回目。同じ失敗をしないように今度は麻酔薬(眠くなるシロップ)を検査前に飲んで図る方法
になりました。そして薬をもらって飲んでから脳波を計ったんです。それでも直ぐには眠ってくれなくて
。私も一緒にベッドに入り、添い寝をしたんですがなかなか・・・30分以上たってようやく眠ってくれ
ました。(眠り薬も即効性はあまりないんですね。)

終わってからがまた大変でした。子供は薬が効いてへろへろ状態で。起してもふらふらで、一人で歩けず
千鳥足。やけにハイになってるし。まるで酔っ払いか、危ない薬をやってるような状態でしたねぇ。イス
にも座れないでいましたから。薬の効き目ってすごいですねえ
(感心・・・)

ところで、検査の結果なんですが異常なしでした。念には念をいれて脳のCTもとってもらいましたけど、
それもどこにも異常は認められませんでした。ほっとしました・・・というのも身内にてんかんの人がい
ると遺伝の可能性があると聞いたので。(実は近い身内にてんかんと言われたことのある人がいるので)
もしかしたらっていうのも正直ありました。それに長男に関して心配に思うところもあるにはあったんで
すよね。というのはこのひきつけを起す前、1歳くらいのときでしょうか。夜に痙攣のように体を震わせ、
手足を激しくびくつかせていたことが1度あったのです。てんかんと言われてから考えたら、あれも軽い
てんかんの発作的な症状だったのかもしれない・・・とか思えてきたり。他にも性格的に長男は何かとパ
ニックを起しやすいところもありました。2歳半くらいの時だったでしょうか。私が長男の昼寝中にベラ
ンダで洗濯物を取り入れていた時のこと。長男が昼寝から起きて部屋に私がいなかったのでパニックにな
り泣き叫びながら家を飛び出し、近所の家へ入っていったことがありました。普通では考えられないです
よね。このように少し過敏すぎるところも長男にはありまして。これもてんかんと関係あるんじゃなかろ
うかと心配していたんです。だから最初の脳波の検査をした時、長男にてんかん波がでていたのも確かだ
ったのかもしれませんし・・・実際こちらの小児科の先生も市民病院でとったデータをこの眼でみていな
いからハッキリしたことはいえないけど向こうの先生が見間違いをするということは考えられないし、ひ
きつけを起して間もない時だったのでてんかん波がでていたのかもしれないとおっしゃっていました。そ
うなのかなと今では思う次第です。

でもやっと安心することができました。ひきつけを起してからこの結論がでるまで検査にかなりの月日
を要したんですよね。その間私たち夫婦は、ずっと不安な状態で生活していました。もし本当にてんかん
となればそれなりの対処の方法を考えてやらなければならないと思ってましたし。結果がでるまで悩んで
悩んで悩みまくりました。この数ヶ月は病院にも度々通い先生に相談したり、主人も自分でいろいろ調べ
たりして勉強していました。そりゃあ、自分の子供のことですから。心配にもなるってもんです。最初何
も解らなかった私たちでしたが「てんかん」と「熱性けいれん」の違いもだんだんとわかってきました。
ここでちょっと違いを書いておきましょうかね。

「熱性けいれん」は5歳以下の子供の3〜4%に見られ、38度以上の熱が急に出た時けいれんを起し、
意識を失くしたりする病気です。時にはけいれんを起した後に熱があがることもあるそうですが。ほとん
ど2〜3分で発作は治まるんだそうです。そして「てんかん」。てんかんは脳の神経細胞が異常な電気的
興奮を起すために繰り返し発作が起こる病気だそうです。てんかんの方は熱がさほど高くないのにけいれ
んが起こったりするんだそうです。子供から大人まで全ての年齢に見られる病気だけども年齢によって発
作の特徴も違うようです。若いうちに発病することが多く、10歳までに全てんかん患者の20%が発病
し、20歳までに70%の患者が発病すると言われているそうです。

そして更に「てんかん」の中にもいろいろな種類があるということもわかりました。「特発性局在関
連てんかん」「特発性全般てんかん」「症候性局在関連てんかん」「症候性
潜因性全般てんかん」その
他のてんかん。このようにてんかんと言っても様々な種類があるのです。そして類型によって治療方針も
違うんだそうです。だからてんかんと言うだけでは診断は充分ではなく、もう少し詳しい診断が必要とな
るんだそうですよ。

で、勉強していくうちにこういうことがわかってきたので主人は、最初にてんかんと決めつけて診断し、
てんかんの薬をだしましょうかと軽々しく言った医師の対応にすごく腹をたてました。経験の少ない医師
が(脳波を見るのにはすごく経験が必要だそうです)1度脳波を見ただけでわかるわけない!と。わたし
もその通りだと思いました。今から考えるとあれって誤診になるんでしょうかねえ・・言われたとおり、
あの時から薬を飲み始めていたらどうなっていたでしょうか。副作用はないといいますが恐いですよねえ。
もともとは薬って毒でしょう?やっぱり色んな病院を受診して、自分達でもある程度勉強が必要だなあとい
うことを今回のことで実感した私たち夫婦でした。

ところで長男ですが、脳波の検査でもあれからてんかん波は確認できず、脳のCT の検査でも異常がなかっ
たので、99.9%心配はいらないだろうということでした。

先生がおっしゃるには「もしかしたらけいれんを起しやすい体質なのかもしれない」とのこと。熱性けい
れんを起した子供の3分の1は何度か繰り返すそうです。長男もその部類に入るのではないだろうかと。そ
れで予防策として抗けいれん剤をもらうことになりました。この薬は座薬で、発熱時(熱が37.5度を越
えた時)に使用すると熱性けいれんを予防できるという薬なのだそうです。38度以上の発熱が続く場合、
8時間後にもう一度だけ使用が許されています。でも使用できるのはこの2回だけ。これで発熱初期のタイ
ミングさえ失わなければ、ほとんどの場合予防できるそうです。熱性けいれんは熱が急激に上がるときに発
作を起こしやすいので、風邪をひいたりしたときも要注意です。幼稚園の方にも事情を説明し、冷蔵庫でけ
いれん止めの薬を保管してもらうことにしました。家にも予備をもらいました。けれども幸いそれ以降高い
熱もでず、薬を使うこともなく現在
(長男は6歳になりました)に至っております。4歳を過ぎれば体も随分
としっかりしてきますね。

このように長男のことで随分と悩んだ私たち夫婦でした。主人は長男の体の弱さは名前のせいかもしれな
と言い出しました。「改名するか?」とまで。

長男の名前を付けるときは生命判断とか占いを全く信じずにいた私たち。自分たちの思いだけで付けてし
まいました。でも占いなんか気にせずにつけるっていう人も結構多いですよね?私たちもそうでした。後か
ら主人が長男の名前を調べてみるとそれがまた病気や怪我が多い名前だということがわかったんですよ。そ
れで今までの病気や怪我のことを名前のせいにしたくなったんですよねえ。事実普通の子供より怪我も多か
ったです。極めつけは2歳の時。鎖骨を骨折するという事件がありました。玄関でおもちゃを両手にもった
まま転んだんです。痛い痛いとやけに激しく泣くもんで、整形外科に連れていったら見事に2ヶ所骨折して
ました。それで数ヶ月間はコルセットをしないといけなくなり、服も前開きのものしか着れなくなって苦労
しました。特に骨折したのが真冬だったので、前開きの肌着がどこを探しても見つからず、仕方ナシに丸首
の肌着をはさみで切って縫ってスナップボタンをつけて着せていました。男の子って怪我や病気が多いとい
いますけどね・・・まさかここまでとは。玄関で転んだだけで骨折。かなりついてない?やっぱり名前が悪
かったんでしょうか。(どうしても名前のせいにしたくなる私)

最近長男は週2回スイミングに通いはじめました。おかげで体力もつきつつあるのかあまり風邪もひかな
くなってきているんデスよ。この調子で大きくなって欲しいです。(もう病気で悩むのは嫌!)ちなみに名
前は改名せずにそのままです(笑)。

長男でいろいろあった分次男は健康な子に育ち、なおかつ運勢も良い最高の名前をということで主人は
かなり真剣でした。
(わたしはそこまでこだわってなかったんですがね)生まれる半年ほど前からインター
ネットで調べたり本を買って来て調べたり。悩みぬいた末の命名でした。こんな名前日本人でいるの?っ
ていう名前です。100人いたら100人読めません。多分。初めての人にはすぐ覚えてもらえるのでイ
ンパクトがあっていいといえばいいんですけどね。私たち夫婦ってそう思うと、信じやすいというか、物
事に左右されやすいですねえ。(あかんやん!)

今のところ次男は名前のおかげかどうかわかりませんが大きな病気もしていません。おまけにとても手
のかからない子です。産まれてから夜鳴きもなく、生後数ヶ月からぐっすり朝まで寝てくれました。2人
目ってよく手がかからないって言いますけど、これほど楽でいいんだろうかってくらい、楽でした。まあ
アトピーで苦労するのは一緒でしたけど。でも、寝てくれるだけでも親はどれだけ助かるかわかりません。
寝るときは添い寝をしなくても自分の指をしゃぶって寝るんです。6歳になっても添い寝をしないと寝て
くれない長男と比べると手のかからない本当にいい子です。親って手を煩わせない子をいい子って思いま
すよね。よく考えたらそれって自分勝手な解釈なんですけど・・・長男は手のかかる子、次男はいい子っ
て思ってしまう自分がいました。どっちが可愛いかっていうと、手のかからない次男のほうが可愛いって
思ってしまうんですよね。親の手を煩わせない次男の方が賢い子ってね。次男が生まれてからは私は次男
ばかり可愛いく思えて。次男ばかり褒めてしまうんですよね。赤ちゃんの成長って目まぐるしいじゃない
ですか、一喜一憂しますでしょう?長男はそれを見てヤキモチを妬くんですよねえ。手のかからない次男
の方が可愛く思える私の気持ちも敏感に感じとっていたかもしれません。それで私を振り向かせようと、
悪さをする。次男を苛める。今まで以上に自分をアピールするわけです。弟にお母さんを取れられたって
いう気持ちが大きいんでしょうね。次男が生まれてから長男は赤ちゃんがえりをして指をしゃぶるように
なったり、甘えて「抱っこ」ばかり言うようになりました。それまでもかなり甘えん坊な方でしたが。輪
をかけてひどくなりました。家では服も自分で着ようとしない。歯磨きも自分でしない。何もしなくなっ
てしまいました。赤ちゃんと同じです。幼稚園では優等生で通ってるんですけど、家では甘えてばかり。
公園に連れていっても私から離れません。次男を押しのけて「抱っこ!」と言います。仕方なしにブラン
コにも抱っこして乗せます。交代だよ。といっても全然聞こうとしません。5歳ですよ。幼稚園年長の子
がこの調子なのです。次男はかわいそうに追い払われて一人でうろうろ・・・

長男は生まれつき愛情に飢えているようなところがありましたが、次男が生まれてその傾向がさらにひ
どくなりましたね。いつも私にべったりで。どこかに私の体温を感じていないとだめなんです。だから次
男が私といると、「向こうへ行け!」と言い次男を押しのけてひっついてくるんです。だから次男は長男
が学校へ行ってる時以外は私とコミニュケーションがとれない状況になりました。そしていつしか一人で
オモチャで遊ぶようになりました。それでも私は一人遊んで偉いなあと思っていました。でもそれは間違
っていたんです。私が次男に手をかけないこと、かけなかったことが後々発達の躓きという形で現れて来
ることになろうとは・・・    

                 発達の遅れ

次男は生後10ヶ月の時、市の健康診断で発達の遅れがあるとこを指摘されました。その時は「人見知
りをしない。」「指さした方向を見ない」「絵本に興味を示さない」「大人のいうことに興味を示さない」
「積み木を積めない」という遅れでした。私はその時、保健婦さんから遅れていると言われて腹が立ちま
した。どうしてマニュアルに子供を当てはめて、それだけで遅れていると決め付けるのか。たった10分
程度子供の様子を見て何がわかるのか。そう思って腹が立ちました。人見知りしないのだって子供の性格
でしょう?って。遅れてるのだって子供の個性でしょう?この子はこの子なりの成長のペースがあるのよ
!って。うちの子はスローなだけなのよ!って。主人も同じ意見でした。私は実家の母にもこのことを話
しましたが母の意見は違いました。専門の人の意見の方が正しいのではないか。保健婦さんの言うことを
聞いたほうが良いと私に言いました。私はその時の母の言葉にも腹が立ちました。この子の母親である私
が大丈夫、遅れてないって言ってるのに保健婦さんの方を信用するのか!って。専門家がどれほどたいし
たものか知らないけどもマニュアル通りの判断で子供の発達の早い遅いを決めるなんて馬鹿げてる!と。
発達なんて個人差があって当然!これが私の考えでした。けれど実家の母の考えは違うものだったんです
よね。母は知的障害の子供を持つ知人がいました。その子の場合と次男が類似するんではないか。口では
はっきりと私には言いませんが、そういうニュアンスで、だから次男が心配なのだとその知人の話をしま
した。母の話はこうです。

母の知り合いの人も私と同じで子供の遅れを乳児から幼児の時期に健診で指摘されたらしいのです。でも
その人は今の私と同じように遅れているといわれたことも気にせず、特に其の後も子供に対して何もせず
、幼稚園に入れたんだそうです。幼稚園に入れる際には発達の遅れがやはり見られたのでしょう、普通の
幼稚園では難しいかもしれないよと言われたそうなんです。でもその人は周りの意見を聞かずに公立の幼
稚園に子供を入れました。そしてその子は幼稚園は無事に卒業しましたが、小学校へあがってから知的障
害でだんだんと勉強についていけなくなったそうです。どうしても普通クラスでは苦しいような状況にな
ってしまったのだそうです。

健診で言われた時に何か対処をしておけば変わっていたかもしれない・・・と。
それで母は私に諭しました。保健婦さんの話に耳を傾けるようにと。でもその時私はどうしてもそれを受
け入れることができませんでした。自分の子供が遅れていると決め付けられたと思ったんです。そのこと
に腹が立っていたから。

「遅れている」と言われた健診の3ヶ月後、市役所から電話がかかってきました。「お子さんの経過を
見せてください。公民館へ連れて来てください」と。でも私はそれを拒否しました。まだ怒りがおさまっ
ていなかったからです。それから次男のことは半年以上ほったらかしでした。その間、実家の母はかな
り次男の遅れを心配していました。新聞に知的障害の記事があると私に読むように電話してきたり。挙
句の果てにはどこから聞いてきたのか次男の遅れは電磁波の影響じゃないの?などと言い出したりもし
ました。(丁度私、妊娠中ずっとお料理するのにIHクッキングヒーターを使用してたんですよね。長
男の時はガスだったんですが。)なんでも妊婦にIHはよくないとか。電磁波が影響するのでお腹から
20センチ以上あけて使用しないといけないとか。そういうことを母は言うわけです。次男の遅れを何
かのせいにしたいのかもしれませんが。まあこの世の中そんなこと言い出すとキリないですよね。電磁
波が良くないなら携帯電話だって悪いってことになるだろうし・・・ダイオキシンに食品添加物・・・
他にももっと体に悪いことなんて山ほどあるかも知れないじゃないですか。

とにかく次男が「遅れている」と言われてからというもの、母は私を責めるようなことをよく言うよ
うになりました。「子供が知的障害だとしても自分の子なんだから責任をもって育てていかなくては仕
方がない」だとか。そんなこと、言われなくてもわかってるし。何で初めから「障害児」だと決め付け
ようとするんだろう。私がいくら遅れてないと言っても母は「専門家の意見の方が正しい」と言い、ど
こから聞いたのかそういう子達が通う教室があるということ、次男もそこに通ったらどうかということ
などを度々私に薦めたりするのでした。

1歳半健診

そんな矢先、1歳半の健診がやってきました。前の健診から半年以上期間が空いたわけですが、検診
に行かないわけには行きませんでした。というのもこの半年母に責められ、私なりに悩んだりもしたの
です。次男の遅れも個性だと考えていた私でしたが、周りに言われれば言われるほど、だんだんと子供
のことが気になるようになってきました。健診に行くとまた「遅れている」と言われるかもしれない。
マニュアルどおりの対応に腹の立つ思いをするかもしれない。でも、もし本当にその遅れが個性や個人
差の範囲ではなく発達に躓いて遅れているのだとしたら・・・子供のことを一番に考えると今私が足踏
みをしているわけにはいかないと思いました。だから、とりあえず健診には行くことにしました。

今回の健診は前より時間も長く、保健婦さんと1対1でいろんな遊びのようなテストをしました。積み
木を積んだり片付けたり、鉛筆で絵を書いたり。犬やメガネ、お人形などのイラストを見せられて、そ
れが何か名前を応えたり指を指したりするというテストもしました。でも次男はほとんど何もできませ
んでした。その時担当してくれた保健婦さんは次男の様子を見て「月齢に会った発達に少し達していな
い部分がありますね」と優しく言ってくれました。前にあたった保健婦さんには「遅れている」と断言
され腹が立ちましたけど、今回は違いました。担当された保健婦さんがすごく私を傷つけまいと気を使
ってくれているのが感じられたから。私は素直になることができました。そして次男のことで悩んでい
ることを相談しました。まずは言葉が遅いということ。一緒に検診を受けた子でもだいたい2語文を喋
り始めたくらいでした。もう大人と同じようにお喋りしている子もいました。長男も言葉は早く1歳過
ぎには普通に会話できるほどでしたからそれに比べると次男は遅いなあと感じてはいたんです。でもそ
のうち喋ってくれるだろうとのんびりと構えていました。なのに前の10ヶ月健診から、言葉の面でも
他の面でも発達はストップしているような感じに思えました。母も同じように感じていたようで私にそ
う言いました。
   言葉が遅い

ここに来てやっと私も次男のことが心配になり初めていたんです。保健婦さんは私の話をずっと聞いて
くれました。母が教室に通ったらどうかと言っていることも話しました。すると健診で発達に躓きがあ
ると言われた子供たちが通う市の教室の存在を教えてくれました。(母が何処からか聞いてきて私に行
くように薦めたあの教室でした)それでも保健婦さんは強引に私に勧めることはしませんでした。まず
3ヶ月通うことでなんらかの変化があるということ、それに同じ悩みを持ったお母さん同士の交流がで
きるということなど説明してくれました。教室に通うことで私の気持ちが楽になるのであれば通ってみ
たらどうですかと教室の申し込み用紙を手渡してくれました。提出するかしないかはあくまで私の意思
を尊重する感じで。ただ次男には教室に通う『権利』があると言うこと言ってくれました。

その教室は「のびのび教室」という名前の教室でした。「ちょっと落ち着きがない」「言葉が遅れてい
る」「はにかみ強い」などの育児上の問題を持った親子に対して、同じ悩みを持つ保護者の繋がりを大
事にしながら、親と子供の絆をより確かなものに育み、よりよい親子関係を作っていこうというもので
した。通いたいと希望する人なら誰しもが参加できる教室ではありません。あくまで健診で発達の躓き
があると言われた子供だけが通える教室でした。だから保健婦さんはそこに通うことを「権利」と言っ
たのでしょう。

家に帰ってから私は迷いました。そこに通うということは「自分の子供は遅れている」認めてているよ
うなものだと思ったからです。主人も世間体を気にして始めは行く必要はない!と言いました。でもと
うとう私は行く決心をしました。何故なら今まで手をかけずにずっと次男をほったらかしにしていたか
らです。一人で機嫌よく遊んでいるからいいと思っていたんですけど、良く考えると向き合って遊んで
あげる時間が本当になかったと気付いたんです。その教室に通えば必然的に二人でいる時間が取れます
。せめてその場所だけでも甘えてくる長男のことを気にせずに1対1で次男の相手になってやれたら・
・・そう思って行くことに決めました。

次男が1歳9ヶ月になる前から週に1回教室に通い始めました。
朝の9時くらいからお昼までのほんの数時間ですけど。そこには20人くらいのお母さんと子供達が
参加していました。内容はこうでした。朝教室に行きます。まず靴を脱いで自分の下駄箱を捜して靴を
入れる。(下駄箱にはわかりやすいように絵がはって有ります)受付でお帳面を出して出席シールを貼
る。(ノートは自分でファスナーをひらいてしまう。)そして100円(多分、傷害保険代だと思いま
す)をいれて名札をもらう。受付が終わると中に入って自由遊びの時間です。広々とした空間にいろん
なオモチャがあります。ジャングルジム、すべり台、大中小いろんな種類のボール、おままごとセット
、木馬、汽車、線路、トンネル、音のでるオモチャ、木製のオモチャ、手作りのオモチャ。積み木、絵
本・・・子供にとってのパラダイスです。ここへ来ればいろんなおもちゃで思いっきり遊ぶことができ
ます。子供も喜び、それを見ている私も嬉しくなります。それに同じ年齢の子供たちがたくさんいるの
で客観的に自分の子供を観察することもできます。多動で通っているお子さんもいます。同じように言
葉がでなくて通っているお子さんもいます。ここに来ているお母さんたちは何かしら子供のことで悩ん
でいる人ばかり。同じように悩みをもつお母さんたちと一緒にいると見栄を張らなくてもいいし、競争
しなくてもいいので楽です。それに比べて長男の私立の幼稚園でのお母さん同士の付き合いはやはり疲
れるものがあります。だから余計私としてはこちらの教室の方が楽しかったりもしますが。

さて、自由遊びが終わるとお片づけです。自分たちが遊んだおもちゃは自分たちで全部片付けます。そ
してエレクトーンの音楽が聞こえ出すとリトミックの時間。赤組、青組みに分かれてリズムを聞きなが
ら走ったり、歩いたり、ぞうさんやお馬さん、とんぼ、汽車の真似で運動をします。リトミックが終わ
ると手遊びをして朝の集まりです。各自子供は自分で椅子を持ってきて座ります。そして名前を呼ばれ
て返事をします。次男は始め「はい」という言葉さえ発することができませんでした。恥ずかしがって
言えない以前に言葉が喋れなかったんです。でも半年経った今では「はい」という言葉が出るようにな
り、手を上げて返事できるようにもなりました。靴箱にもちゃんと靴を入れれるようにもなったしシー
ルも自分で張れるようにもなりました。教室に通っていなかったら絶対に今でもできていないと思うこ
とばかりです。この教室は発達につまづきのある子供むけに作られたカリキュラムで繰り返し、繰り返
し同じことをするのが特徴です。それがとても重要なことなのだそうです。確かに次男をみているとそ
うだなあと思うことが多々あります。同じことを繰り返すことで子供はだいたいの流れを理解し、自分
の知っている場面になると安心します。それに慣れてくると自然に体が動くようにもなります。音楽が
聞こえると集まろうとしたり、ゴリラさんがでてくると最後の集まりの時間だなと理解します。そして
だんだんと自分からやってみようという気持ちになってくるようなのです。

教室はこれらの毎週の決まった流れの他に天気のいい日は公園にも散歩に出たりします。その他に、ク
ッキング、保護者交流会、勉強会、お楽しみ会。そして季節の行事もあります。夏にはプールもあり、
電車に乗っての遠足まで。たった1回100円でいろんな体験ができたり、遊べたりというのはとても
おいしいことです。利用しない手はありません。前にも書いたようにこの教室はあくまで入りたいから
入れるというものではなく、発達に躓きのある子供が対象なので健診で何も言われなかった人は教室の
存在すら知りません。
(私も知らなかったですから!)時々どこかで教室の噂を聞いたり、公園などで遊
んでいるところを目にした人から教室に参加させてくれませんかと市役所に電話があるそうなんですけ
ど全て断っているとのこと。

私の住んでいる市では、年間100人ほどの子供がこの教室に参加しているのだそうです。発達の遅れ
を指摘される子は全体の4分の1くらいだといいます。指摘されても以前の私のように「ほっておいて
ください」と言って教室に参加しない人もたくさんいるとか。周りの反対もあると聞きました。やはり
子供がそういう教室に通うことを世間に知られたくないと思う人が多いということでしょうかね。特に
祖父母の反対が多いそうです。市役所に電話をかけてきて発達の遅れを指摘した保健婦を解雇するぞと
脅したり。今まで何度となく保健婦さんたちはそういうことがあったそうです。わたしも始めは反発し
ていたうちの一人なので、気持ちはわからなくはないんですけど・・・確かに合う保健婦さん、合わな
い保健婦さんっているんです。人間相性ってありますよね。最初の健診で当たった人は私と合わなかっ
たんだと思います。やけに偉そうで保健婦という職業を鼻にかけてるっぽくて。遅れてるって決め付け
るし。

保健婦という職業って子供の発達の遅い早いを判断する仕事じゃないですよね?子育ての悩みとかを聞
いて手助けしてくれたり親の不安を解消してくれたりするのが本当の仕事じゃないですか?なのに余計
不安にしてどうするよ!ってね。とにかく教室に通うまで保健婦という人達にはあまりいいイメージが
ありませんした。でも参加してみて通ううちに私の考え方も変わっていきました。よくここまでやって
くれるなと思うほど本当に子供のことを考えて、発達の手助けを親身になってしてくれる保健婦さんた
ちが大勢いるんです。無償で通ってくれ、子供の面倒を見てくれるボランティアさんもいます。その方
達に今は頭が下がる思いです。

のびのび教室

さて教室に通い始めて、居住している地区ごとに担当の保健婦さんがいるということがわかりました。
私の地区担当の保健婦さんは同世代の方でとても話しやすく相談にも度々のってくれました。私が一人
で育児を背負いすぎてストレスや悩みを抱え込んでいることを知り「今まで大変だったね。よく頑張っ
たね。」と言ってくれました。涙が零れそうになりました。何故涙が出そうになったんでしょうか。保
健婦さんの言葉は「もう一人で頑張らなくていいよ」と私には聞こえたからです。教室に通うまで、そ
の保健婦さんに話を聞いてもらうまでは一人で背中に大きな荷物を背負って突っ走ってきたようなそん
な感じでした。ここへきて荷物をおろしていいよ、そう言ってもらえたような気がしたんですよね。

教室に通ってから保健婦さんを通していろんなことを知りました。言語聴覚士の先生の存在。発達相談
という場があること。そして発達の遅れのある子供のいく保育所
(療養施設)があるということ。今まで
避けていたわけではないけれど知らなかった、見ようとしていなかった世界が見えてきました。自分の
子供が遅れているかもしれないという事実に真正面からぶつかろうとした瞬間から、私を取り巻く環境
はガラリと音を立てて変化しました。道が開けたとでもいいましょうか。進むべき道を手助けしてくれ
る人たちが自然と傍にいて後押ししてくれる、そんな感じです。何より視野がとても広がりましたね。
あ〜,自分の住んでいる市は子供の為にこういう取り組みをしているんだと今まで見えなかった行政が
だんだんと見えてきました。言語聴覚士の先生という存在にしても、そういう資格をもった人が居るこ
と自体知りませんでしたから。その方は小学校の先生なんですけどね。就学前の児童を対象に、聞こえ
や言葉に関して心配のある子供などの相談、指導を行っているということで。私も保健婦さんと一緒に
長男、次男を連れて訪れてみました。これといって子供は何をするというわけでもなく、ただ私は心配
なことなどをアンケートに答えながら先生と話をし、子供たちはそこにあるいろんなおもちゃで遊ぶ。
それだけだったんですけど。私は次男の言葉の遅れに随分悩んでいたし、遅い遅いという周りからのプ
レッシャーにもストレスを感じていたんですよね。言語聴覚士の先生は次男の言葉の遅れについて、「
言ってることがわかるようなら問題ないですよ。2歳で言葉が遅い子なんて沢山いるし、今の段階で知
的障害かどうかを断定することは無理ですよ。あまり考え込まずに、おおらかな気持ちで子供を見守っ
てやるくらいがいいでしょう」と諭されました。こっちが拍子抜けするくらいでした。やっはり一人で
悩みすぎてたのかなあと。それからはもっといい加減でいいんじゃないかと思えるようになりました。
(いい加減といっても子育てを放棄するんじゃあなくて、肩の荷を降ろしてリラックスするつもりでと
いうことですが)
    言葉の発達

言葉の発達というのは脳の発達の中でも一番最後にでてくる集大成のようなものなのだそうです。だか
ら言葉がでるようになる以前に足りない部分、未熟な部分をしっかりと育ててやることが大事なんだそ
うです。よく言葉の世界にまだ入ってないという言われ方をしますよね。それは人とのコミニュケーシ
ョンをもとうとする段階にまだ至ってないということでもあるそうです。人に何かを伝えたいから言葉
というのは出てくるのだそうで。たまに言葉だけが早くて、人を飛ばして物への一方通行をする子供も
いるそうですが。(長男がまさにその例のような気がしますが)早いからいいというものでもないそう
で。それはそれでその後のケアが大事になってくるようなんですけどね・・・

さて・・・「教室に通い始めて3ヶ月間で変わる」

初め通所する前に保健婦さんはそう言ってくださってたんですけど、次男はなかなか変化が出なかった
んですよね。
(次男に変化がでてきたのは5ヶ月目くらいでした)それである日保健婦さんに、「一度発
達相談を受けてみませんか?」と言われました。発達相談?何それ?と思って聞くと、発達相談員とい
う資格をもった専門の先生がいるそうなのです。その先生に子供の様子を見てもらったら発達に関して
今後どのように手助けしていったらいいかなどの意見が得られるんではないかということでした。その
時はなんだかよくわからないけれど保健婦さんが薦めてくれるのなら、と受けてみることにしました。
発達相談とやらを始めはなめていた私でしたが、行ってみてあまりの真剣さに愕然としました。

発達相談

発達相談は予約制でした。1時間という決められた時間の中でいろいろな遊び(テスト)を通して発達相
談員の先生が事細かに子供のできること、できないこと、苦手なことなどをチェックしていくのです。
横では記録係りの保健婦さんが2名。子供と先生、そして私のやり取りを逐一記録しています。ただ単
に子供の遊んでいる様子を見るだけかと思っていた私ですが、子供の様子を分析して記録に残すんです
ね。そしてどうして発達に躓きがあるのかということを探求していくとでもいいましょうか・・・かな
り奥の深いものだなあと思いました。

保健婦さんに後で聞いた話なんけど、こういう記録っていうのは永久保存するのだそうです。皆さん、
考えるてみると子供の頃に発達の遅れなどの問題があったという記録が残るのは嫌なことだなあと思っ
てしまいますよね?でも記録を保存するということはとても大事なことなのだそうです。

今から50年前、森永ひ素ミルク中毒事件という事件がありました。赤ちゃん用のドライミルクの製造
過程でひ素等が混入し、そのミルクを飲んでいた乳児などが中毒になりハンディキャップを背負うこと
になって苦しんだと言う事件です。その事件が明らかになったのはミルクを飲んでいた乳児が17歳に
なった時だそうです。その昔市町村が行う乳幼児健診の記録はほとんど保存されておらず、個人の個別
的症状と有毒ミルクの関係、そして被害者の因果関係の立証、認定が極めて困難だったのだそうです。
ですから被害者として認定された人は少なく、偶然森永ミルクの缶を置いていたなどのような物的証拠
がない限り難しかったようなのです。この事件を受けて今後は赤ちゃんからの記録を永久に残しておき
ましょうということになったのだそうです。確かに、今この時代でも何が原因で子供の発育に悪影響が
あるのかは不明ですし、もっと後になって問題が出てくることもあるかもしれません。それこそ携帯電
話や電磁調理器などが普及する現在、電磁波だのなんだのが及ぼす影響はまだまだ未知の世界だと思い
ます。

話を戻しましょう。さて、発達相談ですることとしては、積み木を積んだり(これは物を指で調節する
力があるかどうかをみるようです)紙に鉛筆で線を書いたり円を書いたり(これは手首の返しをみるそ
うです。手首の返しは何と関係があるのかというと食事をするときのスプーンやフォークの使い方に繋
がるそうです)それからパズルのようなものをしたり、神経衰弱のようなものをしたり。3つのコップ
の中の一つにオモチャを入れてシャッフルし、オモチャがどのコップに入っているか当てたり。それは
それはいろんな検査(検査項目がきまっているんでしょうね)をして、最後には用意されているオモチ
ャを使ってどういう遊び方をするか、また保健婦さん(大人)との関わり方を自由遊びという時間で観
察する・・・1時間きっちりと一人の子供の様子を見て分析するんです。先生は次男の言葉が遅いこと
についてどうしてかなあと随分悩んでおられました。物事はほとんどわかっているんです。神経衰弱の
ような記憶力のテストがあったんですけど、10個ほどの扉があってそこにそれぞれ違う絵が隠れてい
るんですね、何処に何が隠れているのか1度見ただけで次男は全部記憶してしまうという場面もありま
した。私、かなりビックリしました。こんなこともできるんだと。マジですごい!と内心思いました。
ほぼ正解率100%で保健婦さんたちも驚いていました。「この子は結構すごい子になるかも」なんて
お世辞のような言葉まで飛び出すほど。でもやっぱり「これはどこ?」と先生に聞かれると指は指せて
もそれが何かは言えないんですよね。発達相談員の先生も首をかしげておられました。耳に障害がある
のかな・・・などと。よく言うじゃないですか。どこかに障害がある人は他のどこかが飛び抜けて優れ
ていると。うちの息子もそうなんじゃないかなあという不安も頭をよぎりました。あとそれに関係して
積み木遊びのことを相談しました。積み木を使ってする遊びって皆さん何をします?普通の子供は積み
木を高く積んだり、また壊したりして遊んだりしますよね?ですが次男は積み木を入れ物に片付けてば
かり。箱にきっちりと並べるんです自分からはそれしかしなくて。延々とほっといたらそればっかり1
時間くらいしているときもあります。私としてはその辺も気になる所でした。先生に話すと「う〜ん」
と唸っておられました。先生もこれだという原因が見つからない状態でした。

いろんなことを話していると、いつの間にか話が脱線して長男の話になっていました。長男が私にべっ
たりとくっついてなかなか次男にかまってやれないでいるという家庭での状況のことを話しました。す
ると先生は次男の発達の遅れの原因がやっとわかったとおっしゃたのです。本来母親との関係を構築す
べき時期に長男がいつも私にべったりしているので次男は母親との関係をうまく結べずに来てしまった
のではないかと。それが全ての原因ではなかろうかと。次男は(母=長男+私)という形式で母親とい
う存在を認識してしまっているのではないでしょうかと先生はおっしゃいました。長男が私とのバイパ
スの役目をしてしまっているので、母親(私が)いなくなっても長男がいればそれでいいということに
。そして母親との関係をウマく結べていないので私がいなくても私を探さない。それが人見知りをしな
いということにも繋がっているとのこと。大人、そして人との関わりの面白さを知れば変わってくるで
しょうとのアドバイスを頂きました。

じゃあこれからどうしていけばいいのか。毎日15分間だけでも次男と二人だけの時間をとって遊んで
あげること。その時は必ず声かけをしながら遊んであげること。遊びの種類はボールを使った遊び
(キャ
ッチボール、サッカー
)のように子供が大人に返す遊びが良いとのこと。それから、長男がいるときは無
理に長男を放すのではなく、次男の方も気にかけながら離れていても必ず声をかけてあげること。食事
や排泄、着替えのようなときも声かけをする。(あまり長い文ではなく、短く簡単に)最後に、無理に
言葉を教えない。言わそうとしないこと。(「い・ぬ!」だとか言葉を無理に言わそうとすると、言わ
なくてはという気持ちが募ってだんだんと喋ることに対して嫌なイメージができてしまうとのこと)・・・

私はこれらのアドバイスをできる限り実践してみることにしました。やはり専門家の先生の意見と助言
はとても参考になるもんですね。前が見えない状況の中に一筋の光が刺したようなそんな気持ちになり
ました。

この発達相談というものは希望すれば誰もが受けれるというものでもないそうです。というのも市には
2名の発達相談員の先生しかおらず、幼児の相談はほぼこの先生一人が受け持っているんだとか。発達
相談待ちの人たちが沢山いるそうです。その中で進路を決める重要な時期の子供を1番に優先して見て
くださるのだそうです。とすると、私はとてもラッキーだったのかもしれません。同じ教室に通ってい
る人でも約半数の人たちは発達相談という場があることを知らないし、相談を受けてもいないからです
。まあ、反対に言えばそれだけ次男は問題児ということになるんでしょうがね(苦笑)。

進路

さて、進路のことなんですけど次男は相談を受けた時はまだ2歳前でした。なので進路といってもま
だ全然考えていませんでした。できるなら幼稚園就学前まで保育所などに預けるのではなく、私が面倒
をみたいと思っていました。そう思うのも私自身が1歳になる前から保育所に預けられていて寂しい思
いをしたからです。子供に同じ思いを味合わせたくないと思っていたんですよね。それに次男も今はこ
んな感じでも幼稚園になるまでに喋ってくれるだろうと考えていた私でした。だから進路のことを先生
に聞かれた時そう答えると、「このままだと普通の幼稚園に行くのはちょっと難しいでしょう」と言わ
れてしまいした。言葉がでないというのは相手に要求を伝えられないということです。普通の幼稚園や
保育所は1対1で保育をしてくれるわけはないですよね。子供が5に対して保育士が1、もしくは10
対1であったり・・・もっと大きい保育所や幼稚園などになるとそれ以上になってしまいますよね。そ
れだとどうしても次男に合った保育はできないだろうと。とてもじゃないけれど保育士さんが次男の気
持ちを汲んで接してくれることは難しいでしょうと先生は言われました。・・・確かに先生も一人の子
供ばかりをみているわけにはいかないですからね。私はそれを聞いた時、少なからずショックでしたが
、発達相談員の先生はそこで新しい道筋を提示してくれました。

まず、教室を週1回から週2回に増やすこと。
週に1度の教室では3ヶ月間通ってさほど変化が現れていないということがありました。週2回にする
ことによって受ける刺激も倍になりますし、集団という場にも慣れることができます。子供はまず集団
の中に入り、自分と似たタイプの子供を探すのだそうです。落ち着きがない子は落ち着きがない子同士
不思議と仲良くなり、泣いてばかりいる子は泣き虫の子と不思議と合うんだそうです。子供は自分と引
き合う子を見付け、その子を自然と手本にし、子供同士がお互いに伸びるんだそうです。大人より子供
同士の刺激によって成長するのだそうです。

教室ですることは2日とも全く同じメニューなんですが、同じことを繰り返すということが重要だとい
うことは前にも書きましたよね。ということで、教室を週2回にして様子を見ていきましょうという風
になりました。でもその時先生に教室に週2回通うということは療養施設も視野に入れての通所になる
ということを言われてしまったんですよね。それを聞いて私はまたショックを受けましたね。療養施設
ってなんだろう・・・普通の保育所とどこが違うんだろうか・・・と。この施設のことはまた後で書く
としましょう。先に教室が2回になったということの意味を書いておきましょうか。

今まで3ヶ月通っていた教室を週2回に増やす・・・週1回と2回の決定的な違いは『発達上なんらか
の躓きがあると考えられ、それがもとで将来の生活に支障をきたしたり、あるいは障害につながる恐れ
があると予測される子供である』といえることなのだそうです。だから、次男はそういう状態にあると
いうことでしょう。教室に通う40〜50人の子供達の中でもより躓いていると認められるということ
でしょうかね。他にも週2回通所されているお子さんは6人いらっしゃるとのことでした。

発達の躓きをできるだけ早く見つけ、早く対応することが子供の将来にとってとても大切なのだそうで
す。軽い躓きの場合はそれを克服したり、あるいは障害がある場合でもそれを軽くしたりすることがで
きるのだそうです。特に3歳までは脳が発達する時期にあたるので、その頃何もしないのとするのでは
すごく変わってくるのだそうです。(やっぱりするのとしないのとでは違うんですね)

ソニーの創業者、井深大さんの本『幼稚園では遅すぎる』(サンマーク出版)にも書かれているように、
3歳までに子供の脳の配線はほぼできてしまうんだそうですね。何もしないで2しか伸びないところが
、仕方によっては10伸びるんだそうです。そこで何をすればいいか、対応の方法なんですけど・・・

人間は集団の力を借りなければ発達していくことのできない存在で、集団の中に入るということはとて
も大切なのだそうです。そしてその集団というのは同じような発達をしている子供の集団で子供の成長
を援助するためのプログラムが用意されていること、そんな場所が必要なのだそうです。そこで施設の
存在があがってきたのです。
     療養施設

施設というとなんだか悪いイメージを思い浮かべてしまう私だったので先生にそう言われた時は絶対入
れるのは嫌だ、できることなら入れたくないなと思いました。それは主人も同じ意見でした。発達相談
で先生には教室に週2回通って、3ヶ月たっても変化がみられない場合は2歳から施設に入れてあげて
くださいと言われたんですけどね。その時は詳しいこともわからなかったので偏見がありました。でも
、だんだんと知るにつれて偏見は薄れていきました。保健婦さんもこまめに相談に乗ってくださいまし
たし、施設についての詳しいことも教えてくださいました。

その「施設」なんですけども、そこは市内に一箇所だけしかないという障害の認められる子供が通う保
育所だったのです。保育所と言っても普通の保育所と違ってデイケアサービス事業になるのだそうで、
だから療養施設ということになるわけです。そこには身体障害そして、知的障害等のある就学前の2歳
から4歳までの児童が通っているそうです。定員は20名。それに対して保健士さんは7名。子供3人
につき一人の保健婦さんがつく計算ですね。児童20名という枠は毎年審査をして選考しているのだそ
うで、教室に週2回通っている人でも入園を希望して必ず入れるというものではないのだそうです。施
設の保育士さん、教室の保健婦さんたちが会議を開き、子供の状態を検討し、審査をして入園を決める
のだそうです。

その施設に入園の申し込みをするには市に申請を出さなくてはいけません。国からの補助を受けるため
に障害者の支援費制度を利用することになるからです。申請の用紙には「身体障害者 知的障害者児童
 居宅生活支援費 施設訓練等支援費 支給申請書」と書いてありました。これを出さないと入園の申
し込みができないのです。なんだか抵抗ありますよね。医師の診断がでたわけでもない、知的障害とは
っきり決まったわけでもないのに。(その可能性もないともいえないんですけどもね)でも申込書には
そう書いてあるでしょう?だからその書類を提出するということに主人は特に抵抗があると言いました
。私達は次男を施設にいれるべきかどうか悩みました。先生に「3ヶ月後の発達相談までに何らかの変
化がないと施設に通うということも視野に入れて考えてください」と言われてしまったのでそれまでに
なんとか次男が喋ってくれないか、そう毎日のように願う日々でした。

自我の芽生え

さて教室が週2回になって次男はどうなったか。変わったか?結論からいうと少しはYESですがまあ
ほんと微妙なところです。教室に週2回通うようになって受ける刺激が多かったんでしょうか。最初の
うちはとても落ち着きがなくなりました。そして多動と呼んでいいほどじっとしていることができなく
なりました。言葉の面でも一向に変化はありません。最初の1ヶ月は教室を2回にしたことで悪い方向
に行ってしまったのだろうかと悩んだりもしました。保健婦さんに相談したこともありました。「でも
動きまわる時期も子供にとってきっと必要なのですよ、意味があることなんですよ、だからもう少し様
子を見ましょう」と言われました。私は保健婦さんの言葉を信じて欠席せずに教室に辛抱強く通いまし
た。すると通っていくうちに次男にだんだんと変化が見られるようになってきたのです。まず、表情が
豊かになり、最近は多くの人から「可愛くなったね。よく笑うようになったね」と言ってもらうように
なりました。主人も次男を見て顔つきが変わったと言います。教室に通い始めた時は無表情で一人きり
でおもちゃで遊んでいることが多かった次男。表情が豊かになったということは集団に入って人と関わ
ることを学んだ成果なのかもしれません。一時期悩んだ多動な傾向も今は随分落ち着きました。教室で
は相変わらずウロウロしているんですけど、最終的には私の元へちゃんと帰ってくるようになりました
。そして一番変わったところというのは、自我が芽生えてきたということです。保健婦さんの話による
と「我」はとても大切なのだそうです。我が強い子、弱い子で人との関わり方で損をしたり徳をしたり
もするのだそうです。我が強い方が、いろんな人に深く関わってもらえるという話を聞きました。考え
ると確かにそうだなと。長男は人一倍我が強いんです。だから私を独占もするし、祖父母にもよく構っ
てもらいます。次男は今まで「我」というものがありませんでした。ですからほとんど誰にも深く関わ
ってもらえていない状態だったのです。子育ては2回目でもまだまだわからないことって沢山あります
ね。「我」の大切さなんて考えたこともなかったですもの。もし半年前、教室に通ってなかったらこの
まま我のほとんどない子に育っていたかもしれませんよね・・・そう考えると恐いです。通ってよかっ
たなと思いました。

それから一番気になっている次男の言葉の面での発達ですが、教室を週2回にしてもまだすぐに言葉
が話せるような状態には至っていません。でも少しは人と関わろうとする傾向が見られてきました。指
差しの回数も増えた気がします。「あ!」と言って指を指すことも重要なのだそうです。このように人
に何かを伝えようとする気持ちが芽生えて来たなら遅くても言葉は自然と出てくるだろうと思います。
焦らず見守って行きたいですね。

でももうあっという間に進路を決める時期になってしまいました。教室の先生、保健婦さんから勧め
られて施設に申し込むことを決心しました。審査で通ったなら多分教室の中で2歳から施設に入るのは
次男だけになるかもしれません。でも、先生方が子供のためを思って進めてくださるので私もどうすれ
ば子供に一番よいか、それだけを考えて進路を決めることにしたのです。この際、世間体であるとか親
の見栄であるとかは後回しです。子供のために一番いい選択肢をとる、それだけです。

先日市役所に施設の申し込みを提出してきました。あれほど抵抗があった「支援費制度」を利用すると
いう申請用紙を提出しました。施設の方にも1日体験入園をしてきました。いろんな障害を持つ子供た
ちと遊んだり給食を食べたりしました。次男はとっても嬉しそうでした。やはり集団での環境を欲して
いるのでしょうかね。主人も施設に入ることを今では納得しています。保健婦さんは「子供のためによ
く決心してくれたね。ありがとう」と言ってくださいました。お礼を言わなければいけないのは私の方
なのに・・・

・・・子供の為にどの道を選択するのが一番ベストなのか。それは子供が成長してみないと分らないこ
とだと思います。成長したとしても何が正しく、何が間違っていたのかなんて言う事はできないかもし
れません。でも、前にいくつもの道があるならその中でその時一番だと思う方に進ませてあげること、
それが親の役目ではないでしょうかね。

ここまで長々と悩める育児記を書いてきた私ですが、今でもいろんなことに毎日悩んでいます。これ
から先ももっと悩むかもしれません。時々早くおばあさんになりたいなあと思ったりします。自分の子
供のことはこんなに悩んでも、孫となれば可愛がるだけでしょうからね(笑)

悩める育児は今後も続きそうな気配です。

・・・・・・・・・終わり

2005.2.24






その後、次男は市の審査により、療育施設への通園が決定しました。今では、毎日楽しく通っています。
お友達や先生方の影響を大いに受け、集団の力のすごさを改めて感じる成長ぶりです。無表情だとばかりいわ
れていた息子ですが、今では見違えるように表情豊かで、また人一倍良く喋るようになりました。1年で施設の卒
業が決定し、今度は次のステップとして小さな集団の保育園へと通うことになりそうです。
今は長男のことで悩んでいます(ほんとうに悩みはつきませんね)
みなさんもよい子育てを!!

2006.1.13


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